「根性」から「六根清浄」へ──仏教の言葉を読んで思ったこと

2026年7月1日(水)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

今日から7月。早いもので、
もう一年の半分が過ぎてしまいました。

昨日、菩提寺の施餓鬼で配布された
宗派の小冊子に目を通してみました。

真言宗豊山派の季刊誌『光明』を読んでいて、気になった言葉がありました。

そこには、「根性」や「退屈」といった、
普段何気なく使っている言葉が、
仏教ではどのような意味で使われているのか。

そんなことが紹介されていました。

その中で目に留まったのが、
「根性」という言葉です。

今では「根性がある」「根性がない」といえば、
精神力や我慢強さのような意味で
使われることがほとんどでしょう。

ところが小冊子では、「根性」は仏教語で、
教えを受け入れる素養を意味する言葉として
紹介されていました。

もともとは、精神力や我慢強さとは
少し違う意味を持つ言葉だったのかと、
少し驚きました。

その説明を読んでいるうちに、
「根」という字が気になりました。

そして、同じ小冊子の中に出てきた
「六根」という言葉から、
ふと「六根清浄」を思い出しました。

六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意。

目で見ること、耳で聞くこと、
鼻でにおいを感じること、舌で味わうこと、
身体で触れること、そして心で考えること。

人が外の世界を受け止める
六つの働きを指す言葉だそうです。

「六根清浄」という言葉は、
修験道や山岳信仰などで耳にする
文言だということは知っていました。

ですが、それが何を意味するのかまでは、
正直、考えたことがありませんでした。

「六根清浄」とは、
六つの感覚や心を清らかな状態にする
という意味だそうです。

言葉だけを知っているのと、
意味まで知っているのとでは、
受ける印象がずいぶん違います。

普段何気なく使っている言葉でも、
その由来や本来の意味を知ると、
なにか新しい発見があります。

話は変わりますが、
お寺やお墓に足を運ぶと、
不思議と気持ちが落ち着きますよね。

ご先祖様に手を合わせることはもちろんですが、
それと同時に、
普段は忙しく働いている目や耳を休め、
心静める時間でもあるのかもしれません。

「六根清浄」という言葉の意味を知って、
そんなことを考えました。

では。


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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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