死者に頭を下げるということ
2026年8月15日(土)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
毎年のことですが、
早朝、靖國神社へ参拝してきました。
例年に比べると、暑さもそれほどではなく、
朝の空気が清々しく感じられました。

さて、毎年この日になると、誰が参拝した、
誰は行かなかったと大きく報じられます。
SNSを眺めていると、
何人かで揃って参拝した写真が上がり、
それを評価する声もあれば、
批判する声もあります。
正直に言うと、毎年この日になると、
こうして参拝の有無を騒ぐ様子を見て、
いったい何をしているのだろうと
感じてしまう部分があります。
私は、もう少し虚心坦懐に考えても
いいのではないかと思います。
お墓の前で手を合わせるとき、
亡くなった人の生前の言動を
一つ一つ評価してから
頭を下げるわけではないと思います。
その人の考えすべてに賛成だから、
手を合わせるのでもない。
亡くなった人がいる。だから頭を下げる。
死者に頭を下げるというのは、
本来もっと素朴な行いなのだと思います。
靖國神社については、先の戦争への評価や、
祀られている人たちのこと、
政治的な意味合いなど、
さまざまな議論があります。
ただ、それとは別のところに、
死者に頭を下げるという行いがある。
私はそう思っています。
私自身、
毎年この日に靖國神社へ参拝しています。
祖父と大叔父二人が先の戦争で亡くなっており、
なぜ私が参拝するのかは
昨年のこの日に書きました。
参拝したい人は、
それぞれの立場の中で参拝すればいい。
参拝しない人は、行かなければいい。
行った人を持ち上げる必要もなければ、
行かなかった人を責める必要もない。
そしてもちろん、
参拝した人を責める必要もないと思います。
死者に頭を下げるという行為まで、
賛成と反対に分け、
政治的な立場を測る材料にしてしまう。
私はそこに少し違和感を覚えます。
靖國参拝を、
政治ショーにする必要はありません。
死者に頭を下げるのに、資格も観客も要らない。
ただ静かに頭を下げる。
それでいいのだと思います。
町の石屋の考えることです。
では。
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