風になるのは魂、石が守るのは魄──「千の風になって」と石屋の話

2026年6月24日(水)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

こんな記事を目にしました。

「千の風になって」を歌った
テノール歌手の秋川雅史さんが、
50歳を過ぎてから終活を始めた、という話です。

お父様が今月、お墓を注文され、
ご自身もこの先、墓をどうするか
真剣に考えるようになった、と語っていました。

あの「千の風になって」を世に広めたご本人が、
いま、自分のお墓のことを考えている。
それが、なんだか心に残りました。

記事の中で秋川さんは、
墓石を建てるのか、機械式の納骨堂にするのか、
まだ答えは出ていない、と話していました。

エンディングノートを書くような周到な方が、
お墓のことだけは、決めかねている。
ここに、今の終活のありようが、
よく出ている気がしました。

若いうちは、お墓のことなど頭にありません。
正直なところ私だって、若い頃はそうでした。

けれど、親を見送り、身近な人の死に触れると、
人の気持ちは、自ずと変わっていくものです。
お墓へ行って、手を合わせてこようか。

そういう思いが、年齢とともに
芽生えてくるのではないでしょうか。

秋川さんが50歳を過ぎて変わったというのも、
つまりはそういうことなのだろうと思います。

若い時、年を重ねた時、
そして老いを意識する時。

人が考えることは、その時々で違ってくるのは
ごく自然なことです。

ところで、
この「千の風になって」という歌について、
石屋としてお伝えしておきたいことがあります。

ご承知の方も多いとは思いますが、この歌は、
もともと外国の詩がもとになっています。

「私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません」。

日本人は、これをすっと受け入れました。
とても印象的な、いい歌だと思います。

ただ、昔から日本に伝わる、
お墓の話を少しだけ。

日本には古くから、
魂魄(こんぱく)という考え方があります。

人が亡くなると、二つのたましいに分かれる。

魂(こん)は天にのぼって、
自由に飛び回り、子孫を見守ります。

魄(はく)──骨となった体は、地にのこる。

その魄を、土に還るまでの長いあいだ、
鎮めておく。

掘り起こされないように、
長い時間に耐える石で、しっかりと蓋をする。

そうして魄を守ってきたのが、
お墓という形でした。

「そこに私はいません」と歌われているのは、
空を飛び回る、魂のほうなのだと思います。

魂はたしかに、風になっているかもしれない。

ただその魂も、
手を合わせれば、墓石に下りてくる。

そして体であった魄は、
もとから、そこに納まっている。

魂は風になり、お骨を石が守る。
お墓は、そうしたものなのだと思います。

秋川さんの記事を読んで、
私はそんなふうに感じました。

皆さんは、どう感じるでしょうか。

では。


※魂魄については、プラスダイヤ株式会社 宮下武社長が、わかりやすい図にまとめられています。

※お墓は、ただお骨を納める場所ではなく、手を合わせる場所でもあります。
以前、そのことについて書いた記事です。
【関連記事】
そこに行けば、会えますか──手を合わせる場所の意味

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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