「俺が面倒見るよ」という言葉の中にあるもの

2026年7月10日(金)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

もう、7月盆の時期ですよね。
ネットでは、墓じまいについての記事を
見かけるようになりました。

ひとつ「えっ」と思ったのはこんな記事です。

親が墓じまいを考えている。ところが息子さんは
「俺が面倒見るよ」と言っている。

でも息子は独身だし、管理費も墓参りもある。
任せるのは不安だ。
やはり自分の代で閉じるべきか——。

そういうありがちな相談に、
FPの方が答える形の記事でした。

記事の中身は、負担の整理です。
管理費が年3万円なら、
10年で30万円、20年で60万円。

墓参りが年4回なら、交通費、供花代、線香代。
掃除があり、法要の段取りがあり、
お寺との付き合いがある、と。

たしかに、どれも事実でしょう。
お墓を守るには、お金も手間もかかります。
それを数字にして見えるようにすること自体は、
悪いことではありません。

ただ、読み終えて、
私はどうしても引っかかる部分がありました。

この記事には、
息子さんがそのお墓と過ごす時間のことが、
一言も書かれていないのです。

考えてみてください。

いずれ親御さんが亡くなったあと、
そのお墓は、親から引き継いだ
「管理するもの」だけではなくなります。

親に会いに行く場所になるのです。

独身で、自分の家族を持たない人なら、
なおさらではないかと私は思うのです。

命日に、お盆に、正月に。
誰に言うでもなく、一人で手を合わせに行く。

その時間は、その人の残りの人生の中に、
確かにあるものです。

それはただ、
負担の積み重ねでしかないのでしょうか。

ちなみに記事は、お金と手間については
細かく書いてありました。

もちろん、それは現実です。
お墓参りに行けば、お金も時間もかかります。

ただ、その時間が本人にとって何なのか。
そこまでは、
まったく触れられていませんでした。

もちろん、
事実から目をそらすつもりはありません。

息子さんが生涯独身なら、いずれ誰かが
——おそらく息子さん自身が、元気なうちに——
お墓を閉じる手続きをすることになるでしょう。

そこはごまかせません。

でも、終わりがあることと、
そこまでの時間に価値がないことは、
はっきり言って、まったく別の話です。

息子さんが何十年かお墓と共に過ごし、
自分の区切りとして、自分の手で閉じる。

それと、親が先回りして今閉じてしまい、
息子さんは親を亡くしたあと、
手を合わせに行く場所がない。

「どうせ最後は墓じまいになる」

その一点では同じでも、
間にある時間がまるで違います。

「俺が面倒見るよ」という言葉は、
単に管理費を払うという申し出では
ないのかもしれません。

その時間を、自分の人生の中に置いておきたい。
せめて、先に逝った親に手を合わせたい。

そういう気持ちの表れかもしれないのです。

「子どもに負担をかけたくない」
そうした親心は、よく分かります。

実際に、そういうお気持ちには
何度も接してきました。

ただ、その配慮が、
子どもから親を偲ぶ場所を
先に取り上げることになる場合もある。

負担を見える化しよう、
と記事には記されていました。

ならば、失うものの側も見えるようにしないと、
判断が一方に傾いてしまうのではないでしょうか。

閉じるか、続けるか。
その前に、継ぐと言ってくれた言葉の中身を、
一度ゆっくり聞いてみてほしいのです。

では。


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似顔絵(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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