「私は散骨でいい」その言葉は、子供にどう聞こえるだろうか

2026年9月11日(金)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

5年ほど前、
名古屋の光徳石材・山田昌史さんが立ち上げた
「つなぎ手プロジェクト」という活動に、
私も賛同しました。

その時に作られたのが、このポスターです。

「私は散骨でいい」
「私の墓参りはしなくていい」
「私の墓が負担になっている」

そんな言葉の「私」を、

「子供」か「お母さん」に

置き換えてみてください、と書かれています。

山田さんがこのポスターを作ったのは、
「私は散骨でいい」と言う親を前にして、
どうしたらいいのかという子供の側からの相談が
増えてきたのがきっかけだったそうです。

改めてこのポスターを見ましたが、
5年ほど経った今も、
私の考えは変わっていません。

試しに、「私」を「お母さん」に変えてみます。

「お母さんは散骨でいい」
「お母さんの墓参りはしなくていい」
「お母さんの墓が負担になっている」

子供の口から出たとしたら、
ずいぶん冷たい響きではないでしょうか。

親が自分のことを言うときには、
子供に迷惑をかけまいとする
親心から出る言葉です。

中身は同じでも、自分のことを言うのか、
人のことを言うのかで、まるで違って聞こえる。

「私は散骨でいい」という親の言葉が、
子供の耳にどう届くかは、また別の話です。

家が絶えてしまう。
お墓を継ぐ人がいない。

あるいは、経済的な事情などから、どうしても
今のお墓を維持していくことが難しい。

そうした中で、墓じまいを選ぶことはあります。

私自身、
仕事としてお墓の解体撤去もしていますし、
それぞれの家に、それぞれの事情があることも
承知しています。

ただ、後継者がいるにもかかわらず、
「子供に迷惑をかけたくないから」
という思いだけで、
お墓をなくすところまで決めてしまうことには、
やはり違和感をぬぐい切れない。

一度は立ち止まって考えてほしいと
今でも思っています。

まだ何も起きていないうちから、
「きっと子供の負担になるだろう」と、
親の側だけで決めてしまう。

ポスターが問いかけているのも、
まさしくそこです。

お墓は、亡くなる人だけのものではなく、
残された人が手を合わせる場所にもなります。

墓じまいを決める前に一度、
「私」を置き換えて、その言葉を聞いてみる。

それでも同じ結論になるなら、
それがその家族の答えなのだと思います。

では。


※つなぎ手プロジェクトの趣旨は、光徳石材さんのサイトに載っています。
→ 光徳石材「つなぎ手プロジェクト」
https://koutokusekizai.com/tunagite

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