板碑の展示を見てきました
2026年11月7日(土)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
今日は、多摩センターにある
東京都埋蔵文化財センターへ、
「多摩ニュータウン遺跡群の板碑集積」
という展示を見に行ってきました。

板碑(いたび)とは、
上が山形になった細長い板状の石に、
梵字などを刻んだ、石の塔婆です。
古くから続くお宅のお墓の片隅などで、
私も時々見かけることがあります。
私は五輪塔や宝篋印塔を見るのが好きですが、
今回の板碑は、それらとはまた違う形。
展示には五輪塔も並んでいました。

関東で多く見られるこの種の板碑には、
長瀞や小川町などで採れる
緑泥片岩という石が使われています。
「秩父の青石」とも呼ばれ、
青みを帯びた、板状にはがれやすい石です。
その性質は、薄い板碑を造るのに
向いていたのでしょう。
実物を見ていると、彫刻に目が向きます。
細い線で刻まれた銘文などに対して、
大きな梵字はしっかりと薬研に彫ってある。
ちなみに薬研彫りとは、溝の断面が
V字になるように彫るものです。

薄い石にどんなふうに刃を当てて
彫り進めたのでしょうか。
以前、別の場所で見た大きな板碑では、
見事なくらいにしっかりとした
薬研彫りで梵字が刻まれていました。
石の癖を見ながら仕事をしていたであろう、
昔の石工の姿を想像します。
この梵字は、仏さまを表すもの。
展示の解説では、
阿弥陀如来を表す「キリーク」が
圧倒的に多いと紹介されていました。

きっと皆、阿弥陀如来の極楽浄土へと
往生したかったのでしょうね。
板碑は、亡くなった方の追善供養や、
生前に自分の死後のために行う
逆修供養のためにも造られたそうです。
大切な人を供養するために、
あるいは、自分自身のために石を建てる。
姿は違っても、
人が供養のために石造物を建ててきたことは、
今の仕事にもつながる話だと感じます。
板碑は、鎌倉時代から戦国時代にかけて
盛んに造られ、江戸時代に入る頃には
造られなくなっていきます。
今回の展示では、
別の場所にあった板碑を集め、
立て直したと考えられる出土例が
紹介されていました。
別々の時に建てられた石が、
ある時、同じ場所に集められる。
それを誰が、何のために行ったのか。
詳しい事情には、今も謎が残るそうです。
今回は、板碑の形や彫り方を眺めながら、
昔の石工の仕事や、
供養のために石を建てた人たちに
思いをはせる時間になりました。
では。
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