時代を重ねながら、そこに在り続けた石。當麻の五輪塔
2026年8月28日(金)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
Facebookを見ていたら、たまたま
ある方の投稿に出てきた古い写真に、
見覚えのある大きな五輪塔が写っていました。
奈良県葛城市、當麻寺の参道脇にある、
現在「當麻蹶速塚」と呼ばれている五輪塔です。
當麻蹶速は、『日本書紀』に登場する人物で、
野見宿禰との力比べが
相撲の起源のひとつとして知られています。
私も以前、當麻寺を訪れた際に実際に
この五輪塔を見ています。

現在の當麻蹶速塚
鎌倉時代の様式とされる、
かなり古い五輪塔です。
興味深かったので、その投稿にあった写真の
出どころを調べていると、
嘉永6年(1853)刊の『西国三十三所名所図会』に、
當麻寺門前の様子とともに、
この五輪塔が描かれていることが分かりました。

『西国三十三所名所図会』嘉永6年(1853)に描かれた當麻寺門前。辻堂の脇に大きな五輪塔が見えます。/国立国会図書館デジタルコレクション
嘉永6年ですから、
今から170年以上前の絵です。
さらに調べてみると、
明治33年(1900年)12月刊の
『日本之名勝』にも、
同じ五輪塔が写った写真が掲載されていました。

『日本之名勝』明治33年(1900)12月「龍田村より當麻寺を望む」/国立国会図書館デジタルコレクション
写真を見ると、
今とは周囲の景色がまるで違います。
田の中を通る道の脇にお堂があり、
その横に大きな五輪塔が建っています。
田植え前の時期なのでしょうか。
農具を担ぐ人や、荷を載せた牛など、
人々が行き交う様子も写っています。
今では建物や道路に囲まれている場所ですが、
120年以上前には、こんな景色の中に
この五輪塔が建っていたわけです。
そして、現在の五輪塔がこちらです。

とくに目につくのが、
大きく丸く張り出した水輪。
明治33年の写真にも、その特徴が見て取れます。
火輪の形や、その上の風輪、空輪を見ても、
今、目の前にあるものとつながります。
絵に描かれ、写真に写った石塔が、
今も変わらず、ここにある。
つまり、120年前の人も、170年前の人も、
それよりもっと前の人の目にも、
この五輪塔が映っていたのです。
そしてこの五輪塔、
実は昔からずっと「當麻蹶速塚」と
呼ばれてきたわけではないようです。
古い資料では別の人物の墓とされていたり、
大正時代には単に「當麻の石塔」として
実測されたという記録もありました。
昭和12年(1937)ころから、
現在のように「當麻蹶速塚」と呼ばれるように
なっていったようです。
このように、人がこの石塔を誰の墓と考え、
どのような意味を持たせたか。
それは時代の中で変わってきました。
ただ、石塔そのものはそこに在り続け、
残ってきた。
嘉永6年の絵に描かれ、明治33年の写真に写り、
そして現在も同じ場所に建っています。
昔の人たちが、それぞれの時代に
この五輪塔を見てきたように、
この五輪塔もまた、
その前を行き交う人々や暮らし、
変わっていく世の中を見てきたのでしょう。
そう考えると、
何百年もの時を重ねながら
そこに在り続けてきた石というものに、
私はどうしようもなくロマンを感じるのです。
では。
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