安土城——湖東の石を集めて築かれた城
2026年6月3日(水)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
組合の研修旅行で昨日の関ヶ原に続いて
近江の地を訪れました。
台風の影響もあり、朝のうちは結構な雨。
傘を差しながらの見学になりましたが、
以前から一度見ておきたかった安土城を
歩くことができました。
大手道の石段はネットで幾度も見ていた景色。
しかしながら、実際に目にすると
石の量に圧倒されます。

大手道の石段。雨に濡れた石が、安土城跡の空気をよく伝えてくれます
ガイドさんの説明によると、
安土山は湖東流紋岩を産する山だったそうです。
つまり、安土城の石垣には、
安土山そのものから出た石が
多く使われていたということになります。
それだけでなく、
近隣の長光寺山や観音寺山など、
湖東エリアのほかの山からも
石を運んだとのことでした。
山から石を切り出し、必要な場所まで運び、
積み上げていく。
安土城の石垣や石段を見ていると、
その仕事量の膨大さが伝わってきます。
城を築くために、この土地の石を集める。
人の力で動かし、山の上に形にしていく。
大手道の石段や、
天主跡へ向かう途中の石垣には、
築城当時の積み重ねが今も残っています。
また、石仏や石塔を転用した石も目にしました。

石段に転用された石仏。安土城跡では、他にも一石五輪塔、石臼、灯籠などの転用石を見ることができます
信仰の対象として手を合わせられていた石です。
今の感覚では、ちょっと驚くような感じもします。
それが、城を築くための石材として
使われている。
当時、安土城を築くためには、
それほど多くの石が
必要だったということなのでしょう。
そこには、
織田信長という天下人の力の大きさと、
この城づくりにかけられた熱量が
表れているように感じました。
安土山で産する石。周辺の山から運ばれた石。
そして、石仏や石塔から転用された石。
安土城跡の石垣や石段を見ていると、
この城が近江という土地の石を
集めて築かれたものだったことが、
少しずつ実感として伝わってきます。
本丸跡の手前まで上がったころ、
雨がようやく上がってきました。
琵琶湖の方から、台風一過の
少しひんやりとした風が吹きあげてきます。
その風とともに、霧が薄く流れてきました。
雨に濡れた石段や石垣の上を、
霧が静かに流れる。
そんな、少し不思議なひと時もありました。
そしてもうひとつ。
天主跡に立ったとき、少し意外に感じることが。
資料などで見る安土城の天主は、
かなりのボリュームを感じさせる建物です。
後の時代の天守のように、単純な矩形ではなく、
多角形に近い複雑な形をしていたとされています。
その一層目の屋根の広がりなどを思うと、
この天主跡の広さの中に、
本当にそれだけの建物が建っていたのか。
そんな感想も持ちました。

安土城跡にある織田信長公本廟。天主跡の近くに残る祈りの場
図面や説明から想像する大きさと、
実際にその場所に立ったときの
広さの感覚は、やはり少し違うのですね。
安土城は、建物だけではなく、
山そのものを大きくつくり替えた
まさに力を誇示する城郭だったのだと思います。
天主跡から琵琶湖と近江の平野を見渡すと、
この山に城を築いた意味が、
少しだけ分かるような気がしました。
何百年も前に積まれた石が、
雨上がりの霧の中で、今も確かに残っている。
その事実と、
昔の職人の仕事の凄みを感じさせられた
一日になりました。
では。
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