「家のお墓」を、新しい・古いで片付けない考え方
2026年9月30日(水)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
昨日のブログをSNSで紹介したところ、
ある方からコメントをいただきました。
詳しい事情はここでは触れませんが、
その中に、ご親族のお一人が
「このお墓は、自分には関係がない」
と言っている、という話がありました。
もちろん、その言葉がどんな状況で出たのかは、
分かりません。
そのコメントを読んでいて、
私は少し考えてみました。
今は「家のお墓」という言い方そのものが、
少し古いものと捉えられることがあります。
確かに、家族の形も変わりましたし、
暮らす場所も昔ほど一つの土地に縛られません。
結婚すれば名字が変わることもある。
子どもたちが遠くに暮らすこともある。
お墓の形も、夫婦墓や個人墓、
期限を区切ったお墓など、
家のお墓だけではなくなってきました。
社会が変われば、
そこに生きる人の気持ちや感覚も変わっていく。
それは、ごく自然なことだと思います。
ただ私は、今の価値観に合わないからといって、
昔の考え方を全部否定してしまうことには
少し違和感を覚えます。
今の感覚では受け入れにくいことでも、
その時代を生きていた人たちにとっては、
それが自然だったこともたくさんあります。
だからといって、
「昔はこうだったのだから、今もこうするべき」
と言うのは違うと思います。
昔の考え方が、すべて悪かったとは思いません。
でも、それをそのまま今に持ってくれば
正しいとも限らない。
反対に、今の価値観がすべて正しくて、
過去が間違っていたとも思いません。
今の時代だって、何十年か経てば
やがて「昔」になるのですから。
そんなことを考えながらも、私は今でも、
お墓は「家のお墓」だと思っています。
ここでいう「家」は、昔の家制度とは違います。
名字や戸籍で区切るものとも考えていません。
その家に生まれ、親がいて、祖父母がいて、
その先にも人がいて、そして自分がいる。
そういうつながりのことです。
たとえば、子どもが結婚して名字が変わっても、
親の子であることは変わりません。
その子にとって、祖父母やその先の先祖が
自分の先祖であることも変わらないでしょう。
もちろん、結婚した相手の家も大切です。
どちらを選ぶかという話ではないと思います。
また次男、三男が、親元を離れても、
先祖とのつながりは変わりません。
正直に言って、私自身、お墓参りに行くのは
年末年始やお彼岸、お盆くらいです。
ただ、せめてそこは
「行かなきゃな」という気持ちがあります。
それは義務感と言ってしまっても、
いいのかもしれません。
でも、お墓へ行けば、
先祖に元気な姿を見せてやりたいとも思います。
自分の家のお墓だけ花が上がっていなければ、
なんとなく先祖がかわいそうにも思います。
花を供えて、手を合わせて帰ると、
「ああ、行ってよかったな」と思います。

一方で、会ったことのない先祖に対して、
なかなかつながりを感じられない人がいることも
無理はないと思っています。
そういう話を聞く機会がないまま
大人になった人もいるでしょう。
自分には関係がないと感じることも、
あるのかもしれません。
これから先、「家のお墓」という形は
もっと少なくなっていくのかもしれません。
ただ、お墓という具体的な場所がなくなれば、
つながりはすぐに消えなくても、
少しずつ変わっていくと思っています。
だから私は、
そこに積み重ねられてきたつながりを、
「今の時代には合わないから」と、
簡単に片付けてしまう気持ちにはなれません。
今はあまり意識していなくても、
年を重ね、いろいろな経験をしたときに、
あとから分かることもあるのかもしれない。
そんなふうに思うからです。
では。
【関連記事】
※家のお墓という形が変わっても、弔う気持ちは続いていく。以前、そんなことを書きました。
・家のお墓は終わっても、弔いは続いていく
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