そこに行けば、会えますか――手を合わせる場所の意味

2026年2月27日(金)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

午後、高松の石屋さんと話をする中で、
「手を合わせる場所の意味」について、
改めて考える機会がありました。

思うことを綴ってみます。

見落としがちなこと

お墓じまいを考えるとき、
多くの人が見落としているであろうことが、
あります。

自分も、いずれ先祖になる。
この一点です。

最近、
「墓じまいが増えている」
「お墓はいらない時代だ」
こんな論調の話を、あちこちで耳にします。

石屋としても、たしかにその流れは感じます。
新しく建てる件数が減っている、という話も、
間違いではないでしょう。

ただ、私はそれをそのまま
「お墓は必要なくなった」とは思っていません。

むしろ逆で、
これから先、お墓の意味はもう一度
見直されるんじゃないか、そう感じています。

処分したいわけではない

お墓じまいを考える方と話をしていると、
「もうどうでもいいから処分したい」
という人は、ほとんどいません。

多くの方は、
・遠くて行けない
・管理ができない
・この先、子どもに負担をかけたくない
そういう現実の中で、どうしたらいいか
悩んでいる。

つまり、先祖を切り捨てたいわけでは
ないんです。

できることなら、ちゃんとしたい。
そういう思いを感じます。

会える場所があるということ

お墓というのは、ただお骨を納める場所では
ありません。

そこに行けば会える。
手を合わせれば、話ができる。

その感覚があるからこそ、
人はお墓参りに足を運びます。

そして納骨のときは、
また別の意味があるように思います。

蓋を開けて、お骨を納骨室に納める。
その場に立ち会い、目にし、声をかけたりもする。

その一連の行為は、単なる作業ではなく、
先祖との関係をつなぎ直す時間
なんだと思います。

先祖のことは、未来の自分のこと

そして、
ここを忘れてはいけないと思っています。

今を生きる私たちも、
いずれは年老いて死んでいきます。

つまり、子孫である私たちも、
いずれ先祖になっていくんです。

若い人たちだってそう。誰だって、先祖になる。

先祖のことをどう扱うかは、未来の自分を、
どう扱ってもらいたいかへと、つながっている。

もちろん、これから先、
お墓のすべてが昔に戻ることはないでしょう。
家の形も変わり、生活の仕方も違います。

だから、従来の形のまま、お墓を維持できる
家もあれば、そうでない家もある。
それは自然なことです。

「お墓は重荷になるからいらない」という
考え方は、長くは続かないのではないかと、
私は思っています。

「どこに手を合わせていいのか、
わからなくなった」

そういう声がある、と聞くことがあります。

だからこそ、すべてをゼロにするのではなく、
お墓を生活の拠点の近くへ移す「改葬」など、
無理のない形に仕舞い直すという、
選択肢もあります。

お墓は、重いものかもしれません。

でも同時に、人が人であるために
必要な場所でもあると思います。

そういう側面を、これからの時代は、
もう一度見直していくのではないかと
感じています。

…だから、焦る必要はありません。

最後にひとつだけ

これからお墓のことを考える方には、ぜひ一つ、
意識しておいてほしいことがあります。

そこに行けば、会えますか。

この問いに、
はっきり「はい」と言えるかどうか。

それが、供養の形を選ぶ上での、
一番大事な基準だと私は思います。

もし、すぐに答えが出なくても、
焦らなくていいと思います。

ご家族で一度、ゆっくり話してみてください。

何か気になることがあれば、
信頼できる石屋に相談してみてください。

では。

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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