鎌倉七口を歩く。化粧坂切通、大仏切通、極楽寺坂を自分の足で確かめてきました
2026年6月7日(日)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
今日は休日を利用して、鎌倉を歩いてきました。
目的は、鎌倉七口のうち、
まだ自分の足でしっかり歩けていなかった
切通しを確認することです。
鎌倉七口とは、
山に囲まれた鎌倉へ出入りするために
切り開かれた古い道です。
朝夷奈、名越、極楽寺坂、大仏、化粧坂、
亀ヶ谷坂、巨福呂坂の各切通。
以前に朝夷奈や亀ヶ谷坂などは歩きましたが、
今回は、鎌倉の西側の出入り口、
化粧坂、大仏、極楽寺坂を中心に歩いてきました。
鎌倉駅から、まずは寿福寺の前を通って、
化粧坂切通へ。扇ガ谷側から登っていく形に
なります。

化粧坂切通
実際に歩いてみると、
思っていたよりも距離は短く、
あっという間に抜けてしまった印象でした。
ただその分、
急勾配の山道を一気に登る感じがあります。
鎌倉の町から山へ、ぐっと上がっていく道。
そんな印象でした。
ただ、新田義貞の鎌倉攻めの際には
この切通が激しい攻防の舞台になったとされる
急坂道です。
急坂ゆえに、守る側にとっては固めやすく、
攻める側にとっては突破しにくい
場所だったのかもしれません。
その後は、葛原岡神社へ向かい、
日野俊基卿のお墓にも参拝しました。
日野俊基は、後醍醐天皇の倒幕計画に関わり、
鎌倉幕府に捕らえられ、
この葛原岡で最期を迎えた人物です。
お墓は宝篋印塔です。
周囲には石の玉垣が巡らされていました。

日野俊基墓
石屋の目で見ると、
宝篋印塔そのものだけでなく、
それを囲む石の玉垣にも目が向きます。
日野俊基という人物が、
後の時代にも大切に記憶されてきたことが、
石塔や墓所の姿からも伝わってくるようでした。
その後は大仏切通へと向かいます。
この切通は、鎌倉七口の中でも
古道の雰囲気をよく残している切通しと
されています。

大仏切通
化粧坂とは違い、細かな上り下りがあり、
途中にはやぐらの跡も残る。

大仏切通のやぐら
現在は片側の下の方に一般道が通っているため、
開けて見える場所もあります。
けれども、昔はおそらく両側とも山に囲まれた、
もっと深い山道だったのではないかと思います。
以前歩いた朝夷奈切通と比べると、
道幅はだいぶ狭く感じました。
大勢が一度に通るような道ではなく、
山の中を細く抜けていく道といった感じでした。
岩盤を切り開き、
地形に合わせて道を通したことが、
歩いてみるとよく分かります。
大仏切通を抜けた後は、御霊神社を経由して
極楽寺坂へと歩を進めます。
極楽寺坂は、現在では道路として
整備されています。
そのため、朝夷奈や大仏切通のように
古道の雰囲気はありません。
ただ、ここも化粧坂同様に、
激しい攻防の舞台になった場所でもあります。
今の道だけを見れば、往時の険しさは
想像しにくいところですが、
ここもまた鎌倉の西南側を守る
重要な出入口でした。
途中で、
伝上杉憲方墓にも久しぶりに参拝しました。

伝上杉憲方墓
その後、
極楽寺への参拝で今日の鎌倉紀行は終了。
今日歩いてみて、あらためて感じたのは、
鎌倉七口とひと口に言っても、
それぞれの表情はまったく違うということです。
化粧坂は、急勾配の短い山道。
大仏切通は、細かなアップダウンを重ねながら
進む狭い山道。極楽寺坂は、今では
道路としての姿が強く残る道。
どれも同じ「切通し」と呼ばれますが、
実際に歩くと、受ける印象はかなり違います。
鎌倉が、山と海に守られた要害の地だったことが
改めて実感できました。
この特徴ある地形と遺構。
そして由緒ある寺社仏閣と、
魅力的な中世の石造物。
こうしたものが、
歩ける距離の中に残っているところに、
鎌倉の面白さや魅力を感じます。
古い道を歩き、
その土地の地形や昔の姿を
想像しながら歩くのは、
やはり面白いものです。
次の機会には鎌倉の東南側の出入り口、
名越切通を抜けてみたいと思っています。
では。
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