お墓参りに行けるということ
2026年3月16日(月)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
明日から春のお彼岸です。
石屋という仕事をしていると、
お墓参りの大切さについてお話しする機会は
少なくありません。
もちろんこのブログでも、
そうした話を幾度も書いてきました。
手を合わせる場所があること。
節目にお参りすること。
そうしたことには、
やはり意味があると思っています。

ただ、今日は少し、石屋としての建前ではなく、
自分自身の本音に近い話を書いてみようと
思います。
本来なら、
もっとしょっちゅうお墓参りに行って、
きちんと手を合わせていたい。
そういう気持ちは、私にもあります。
けれど実際には、
日々の仕事や生活に追われて、
なかなか思うように行けてはいません。
正直に言えば、
少し疲れている時や、
面倒だなと思う時だってあります。
しかも、うちの場合は古い石塔が多く、
お花を上げるところもそれなりにありますから、
行けば行ったで、それなりにお金もかかります。
だから、お墓参りというのは、
いつでも気軽にふらっと、というより、
少し気持ちを整えて
「よし、行こう!」
と思って出かけることの方が多いです。
けれど、だからこそでしょうか。
お彼岸やお盆のような節目が近づくと、
やはり行っておこう、
行ってあげよう!という気持ちになります。
よそのお墓にきれいなお花が上がっているのに、
自分の家の墓にだけ何もないのは、
やはりどこか気になります。
理屈ではないのですが、
何も上がっていないと、
ご先祖に寂しい思いをさせるのではないか。
そんなふうに思えて、
少しかわいそうな気がするのです。
だから、お彼岸ぐらいはしっかり行って、
花を供えて、
手を合わせてこようと思っています。
そして実際にお墓参りに行くと、
毎回同じように思います。
ああ、来てよかったな。
お参りできてよかったな、と。
これはきれいごとではなくて、
本当に毎回そう思います。
行く前は少し腰が重くても、
行ってしまえば気持ちが落ち着く。
どこか安心する。
お墓参りというのは、
そういうものなのだと思います。
それに最近は
そうしてお墓参りに行けること自体が、
実は当たり前ではないとも思えます。
体が動くこと。少し時間をつくれること。
行ってあげようと思える
気持ちの余裕があること。
そういうものがそろって、
はじめてお墓参りに行けるわけです。
入院していたら行けません。
寝込んでいても行けません。
遠方にいて、どうしても動けない方も
おられると思います。
そう考えると、
お墓参りに行けるということは、
それだけで有り難いことなのだと思います。
だから私は、お彼岸は
「ちゃんとお墓参りをしなければいけない日」
というより、ふだんはなかなか行けなくても、
思い切って足を運ぶための節目なのだと
思っています。
しょっちゅう行けなくてもいい。
完璧でなくてもいい。
でも、こういう時に思い出して、
手を合わせに行けたなら、
それで十分意味があることだと考えます。
明日からのお彼岸、
私自身もそんな気持ちでお墓参りに行こうと
思っています。
もししばらくお参りに行けていない方が
いらしたら、この機会に、思い切って
足を運んでみるのもいいかもしれませんね。
きっと帰る頃には、
ああ、来てよかったと感じるはずです。
では。
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
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