平泉の宝塔――なぜ陸奥に、これほど古い石塔があるのか
2026年10月4日(日)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
岩手の平泉に行ってきました。
日本で、年号の入った最古の五輪塔は、
平泉の中尊寺、釈尊院にあります。
仁安4年(1169年)の銘だそうです。
それが、なぜ、陸奥にあるのか。
中尊寺の境内には、釈尊院のほかにも、
同じ平安時代のものとされる
石造宝塔が残っています。
願成就院と、常住院にあるもので、
どちらも「平泉型宝塔」と呼ばれる、
12世紀の平泉に特有の形だそうです。
中尊寺参道入り口にある、
弁慶の墓と伝わる石塔も、宝塔です。

写真は、願成就院の宝塔です。
柵に囲われて、苔むした台の上に建っています。

笠の軒先はゆるく反り、
その上は相輪ではなく請花と宝珠。
笠から宝珠まで、一石でできています。
その下には、丸く膨らんだ塔身。
四方には月輪の中に種子を刻んであります。
なんだか大らかさを感じさせてくれ、
とても気に入りました。
坂東よりも、さらに遠い陸奥の平泉に、
平安時代の石塔が残っている。
八百年以上も風雨にさらされて、
なお、今もここに建っている。
そのことに感動を覚えます。
石を切り、運び、刻み、塔として建てるには、
それだけの力が要ります。
奥州は、金を産し、馬を育て、
北の地との交易で富を集めていました。
そしてその富を背景に、都とのつながりを築き、
人や技術とともに、仏教や建築、石造物の文化を
しっかりと取り入れていたのでしょう。
奥州藤原氏は、その文化のもとで
平泉という町を築き、大きな寺院を次々に建て、
仏国土を表そうとしました。
都から遠い陸奥に、
平安時代にこれほど大規模な寺院を築き、
素晴らしい石塔を建てた。
その理由は、富と文化をあわせもつ
奥州藤原氏の「力」。
それ以外には考えられません。
では。
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