保月山六面石幢――岡山で見た、七百年残る石の仕事を思い返す
2026年5月21日(木)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
何年か前、
日本石材産業協会の年次総会で
岡山へ行く機会がありました。
総会の翌日は
協会主催のエクスカーションもあったのですが、
どうしても見ておきたい場所がありました。
ひとつは、備中松山城です。
城めぐりが趣味というわけではありません。
でも、自分が気になった場所には、
どうしても行ってみたくなる性分です。
備中松山城は、現存天守があり、
山の上に石垣が残っている城です。
これを逃したら次はないだろうと思い、
エクスカーションには参加せず、
レンタカーを借りて向かいました。
山道を登り、石垣が目の前に現れると、
ただ圧倒されました。

この山上にこの石垣。
石屋として技術的にどうこうというより、
来たかった場所に来られたという満足感の方が、
先に立っていました。
ただ、岡山で見ておきたかったものは、
備中松山城だけではありませんでした。
せっかくレンタカーがあるならと、
高梁市有漢方面へ。
目当ては、保月山周辺の石造物です。
国の重要文化財である保月山六面石幢と板碑、
そして近くには、高梁市指定重要文化財の
宝塔や石塔婆も残されています。
六面石幢を制作したのは、
井野行恒という石工で、
古の石工集団、伊派の流れを汲む人物です。
伊派は、宋から渡来した石工の流れを
汲むとされる系譜で、
井野行恒は鎌倉末期の嘉元三年から四年頃、
この地に石造物を残しています。
ただ、現地で最初に感じたことは、
そういう由緒よりもっと単純なことでした。
道沿いの斜面に、ぽつんと立っている。
周囲には、小さな五輪塔がいくつか並んでいる。
観光地でも何でもない。ただそこにある。
建て直されたり、並び直されたりは
しているのでしょうが、建てられた当時も、
きっとこのような雰囲気だったんだろうと
思わせる景色でした。
石と緑と光が溶け合って、
お墓ってこういうものなんだろうな、と。

石幢に刻まれた仏像は、
それほど大きなものではありません。
それでも七百年以上、形を留めて、
今でも表情まで読み取れる。

肉彫りで仕上げられた小さな像が、
大きく崩れることなく、そこにある。
しばらく眺めているうちに、
そのすぐ横にある宝塔にも目が向きました。
本来の姿とは違う部材が組み合わされています。
ただ、古い石造物の場合、
こうしたことは珍しくありません。
一見すると不自然に見える納まりにも、
散逸した部材を集め、手を合わせる対象として
人々が残してきた時間を感じます。
笠の四隅近くには、
錆色に変色した跡が残っています。

かつて金属の風鐸が下がっていた痕跡でしょう。
今乗っている塔身は角柱で、
笠との納まりは合ってはいません。
別の石造物から転用されたものだとわかります。
それでも、手を合わせる対象として、
大切に残されてきた石造物です。
銘が刻んであるということは、
誰かのために建てられたものです。
それは間違いない。
嘉元の頃から七百年以上が経って、
時代も支配者も、
世の中のあり方も変わりました。
それでも今もこうして大事にされている。
日本人の死者との向き合い方、
あるいは宗教観というものに、
自然と思いが向きました。
七百年前の石工が残した仕事の前に立つとき、
石というものの時間の尺度は、
人の一生よりもはるかに長いのだと感じます。
建てた人も、
建てた理由も、
やがて忘れられる。
それでも石は残る。
そうしたことを感じさせてくれた
ひと時になりました。
では。
![]()
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
現地確認。お見積り・ご提案はすべて無料です。
(有)吉澤石材店 吉澤光宏
ご相談・お問合せは、お気軽にどうぞ。
電話 044-911-2552 (携帯転送なので外出先でもつながります)
メール お問い合わせフォーム


