2018年5月11日(金)


川崎登戸の町石屋、吉澤石材店の吉澤です。

昨日は千葉方面で同業の仲間が主催する会議に出席してきました。

その中にあった「いのちの積み木ワークショップ」というプログラム。(ここで中身は詳しく書きません。リンクをご参照ください)

その途中で作製した私自身の家系図です。

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作製だなどと言っても、すべて書けたのは両親の親、つまり私の祖父母まで。この写真を撮った後、吉澤の家の曾祖母の名前を思い出し、さらには高祖父母の名前までは会場で思い出せましたが…。

ご先祖を大切に、などと簡単に口にするものの、この用紙の空欄がすべてを物語っていますね。ちょっと恥ずかしい気持ちになりました。

さらにもう一つ思い知ったのは、祖父母まではともかくとして曾祖父母のこと。自分の直系の曾祖父母はわりとイメージしやすいものの、それは自分の曾祖父母の1/4に過ぎないということでした。

三代さかのぼるだけで僅か25%の人たちのことしか頭にないということに気付いて、かなりハッとしました。

時おり、死んでしまえば忘れられるのが自然だとか、知らない先祖だと親しみも持てないから他人と同じでは?とかいう意見も耳にします。

ある面で言えば、確かにそうでしょう。

私だってこのありさまです。

しかし本当にそれがすべてで正しいのでしょうか。

もう一度言います。

確かに間違ってはいないと思います。ただしそれがすべてではないはずです。一般論として俯瞰的に眺めればそうでもある、という程度のことじゃないでしょうか。

忘れていけないのは、ご先祖一人ひとりに人生があり、物語りがあったということ。間違いなく色々なことを思い、いろいろなことを願い自分の人生を過ごしてきたのでしょう。

そして、それを一人ひとりが精一杯紡いできたからこそ、今自分がここにいるという事実。

 

いつも意識しろというのは少し難しい。そんながんじがらめになれと言うことではなく、時に人生の要所で顧みるべきなのではないかな。私はそんなふうに感じました。

一人の家族の死は、四代も五代も経てば自然に記憶も薄れ、存在もそして名前だっていずれは忘れられていきます。そして四代、五代あとの子孫がまた自分たちの物語りを紡いでいくのです。

それは至極自然で健全なこと。

だからこそ、直接ゆかりのある人々が物語りを紡いでいく時間くらいは、その人(先祖あるいは家族)のことを記憶にとどめておきたいものだと思います。

このワークショップを受講して、私はこんなことを感じました。

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※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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