人の時間を越えて、石は神としてそこに在る──播磨・石の宝殿

2026年7月24日(金)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

古い写真を見返していたら、兵庫県高砂市にある
生石神社を訪ねたときの写真が出てきました。

もう、2018年のことです。

この神社には、
「石の宝殿」と呼ばれる巨大な石があります。

急な階段を上り、社殿の奥へ回ると、
岩盤を深く掘り下げた中に、
大きな石が残されています。

高さも幅も数メートルあり、
重さは五百トンほどともいわれる巨石です。

注連縄が張られ、
今では生石神社の御神体として祀られています。

この石の面白いところは、
下にたまった水によって、
まるで水面に浮いているように見えることです。

そのため、「浮石」とも呼ばれているそうです。

五百トンもの巨石が、
水の上に浮かんでいるように見える。

何とも不思議な光景でした。

さらに興味深いのは、この石が
自然のままの巨岩ではないことです。

岩盤の周りを掘り、人の手で
大きく形がつくられています。

これが完成した姿なのか、
それとも途中で作業が止まったものなのか。

今も、はっきりしたことは分かっていません。

調べてみると、
奈良時代に編まれた『播磨国風土記』にも、
この大石のことが書かれているそうです。

家のような形をした石で、聖徳太子の時代に
弓削大連がつくったものだという
伝承が記されています。

ただ、そこにも
何のためにつくられたものなのかまでは
書かれていません。

『播磨国風土記』が編まれてから、
すでに千三百年余りの歳月が流れています。

奈良時代も、源平が争った時代も、
南北朝の動乱期も、戦国時代も…
人の世が大きく変わっていく間、
この石は同じ場所に在り続けてきたわけです。

この石に手を加えた人たちはとうにいなくなり、
いつしか石そのものが神様になった。

そう考えると、石はすごいものだと思います。

日本人は古くから、山や川、滝や森など、
自然の中に神を感じてきました。

山川草木、あらゆるものに神が宿る。

人の手がまったく入っていない巨岩や古木が、
注連縄を張られて祀られている場所も
各地にあります。

一方で、この石の宝殿には、
はっきりと人の手が入っています。

人の手が入っていない石も神になる。
人の手で形をつくられた石も神になる。

自然の中に神を感じてきた日本人は、
人の手で形をつくられた巨石にも
敬いの心を向けてきたのでしょう。

その姿は、私たち石屋が扱う石にも、
どこか通じるように思います。

お墓も、石塔も、石仏も、
人の一生よりずっと長く残ります。

何代もの人がその前で手を合わせるうちに、
その存在はただの石を越えてくる。

人の記憶よりも長く残り、
ときには神様にまでなってしまう。

石とは、そうした存在なのでしょうね。

では。

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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