石に託した思い──多賀城碑を見て、石屋として思ったこと
2026年7月6日(月)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
宮城県の多賀城市にある
多賀城政庁跡へ行ってきました。
お目当ては、多賀城碑です。
この碑は、
令和6年8月に、それまでの重要文化財から
国宝に指定されたそうです。
栃木の那須国造碑、群馬の多胡碑と並ぶ、
日本三古碑のひとつ。
松尾芭蕉が『おくのほそ道』の中で、
壺碑(つぼのいしぶみ)として
書き残した碑でもあります。
覆屋の中に立つ碑を見て、まず思ったのは、
よく残ったなあ、ということです。

碑には、
千二百年以上前の文字が刻まれています。
「天平寶字六年」と
奈良時代の年号まで刻まれていて、
それが今も読める形で、そこにありました。

紙に書かれたものなら、
普通は千二百年も残りません。
もちろん、
石だって、すべてが残るわけではありません。
それでも、当時の文字が
そのまま目の前にあるということが、
私には素直にすごいと思えました。
この文字を、誰が書いたのか。
誰が、この石に刻んだのか。
当たり前のことですが、
それらは今となってはわかりません。
でも、その人たちは間違いなくそこにいました。
石に向きあい、一字一字、刻んだ人がいた。
どこの誰かはわからなくても、
その人の仕事が、千二百年以上たった今も、
こうして残っている。
実はこの碑には、
真贋をめぐる議論が長くあったそうです。
そして、その議論を経て、
今は本物と認められています。
それもまた、
現物の石が残っていたからこその話です。
もうひとつ、うれしかったことがあります。
復元された南門の階段に、稲井石と思われる
黒っぽい石が使われていました。

仙台石とも呼ばれる、
石巻の稲井のあたりで採れる石です。
うちのあたりでは、戦没者慰霊碑や、
少し古いお墓の墓誌などで、おなじみの石です。
正直なことを言えば、復元ですから、
どこか遠くの安い石をそれらしく加工して、
古びた色に寄せて使うことだって、
できたはずです。
見ている人の多くは、
そこに使われた石がどこの石かなんて、
きっと気にも留めないでしょう。
石を主役だと思って見ているのは、
たぶん私のような石屋くらいのものです。
それでもここでは、
昔からその土地で採れてきた石を、
大事なところにちゃんと使っている。
ありあわせで済ませず、
地元の石を、「主役」として扱う。
それが、うれしかったのです。

石屋の仕事は、時代を超える仕事だと、
私はこのブログで何度も書いています。
今日、多賀城碑の前に立って感じたのは、
まさに、そのことでした。
悠久のロマン、
と言ってしまえば、それまでかもしれない。
でも、私にとっては、
それだけには留まりません。
名前も残らない誰かが石に託した仕事が、
長い年月を経た今も、こうして残っている。
そのことが、ただ尊いものに思えました。
石に文字を刻み、後の世へ残す。
いしぶみとは、こういうものなのでしょう。
多賀城碑が、
そのことを教えてくれたような気がしています。
では。
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