終わりの場ではない。ある葬儀に参列して思いました。


こんばんは。川崎登戸の町石屋、吉澤石材店です。

今日はあるご葬儀に参列し、初七日法要の席まで出席してきました。

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ご遺族の宗教は仏教。家族葬に近い規模の葬儀ではありましたが、昨日の通夜・今日の告別式・斎場での読経・初七日(二七日も兼ねる)法要と、すべての法事をしっかりと行われていました。

決して派手な葬儀ではありませんでしたが、家族の想いが感じられる良い葬儀でした。

ほぼ一日近くの長丁場、通夜まで入れれば二日間。おそらく家族の皆さんをはじめ、近い親族の方々はとてもお疲れになったと思います。

でも、その疲れの深さと同じくらいに、故人に対し、やれることをすべてやってあげられたという気持ちが残っているのではないかと想像します。

昨今では葬儀の簡略化も進み、今では直葬とかゼロ葬と言った言葉も耳にするようになりました。実際にそうした送り方を選択された方もいらっしゃるわけで、私は本ブログで葬送のあり方に対しての是非を論ずるような立場にありません。

ただ一点、通夜や告別式、あるいは故人が荼毘にふされる前、また収骨時などの様子を見ていると、これらの行事のどこが「無駄」なのだろうか。そんな思いを強くしました。

葬儀に付随する一連の流れの中で、都度遺族の心に去来するものは何でしょうか。

残念ながら私にはそこまではわかりません。でも一つ一つの流れすべてが大切な家族としての思いや絆を確認でき、最後に生前の故人(もう亡くなってはいるのですが)と共有できる大切なシーンではないでしょうか。

葬儀は終わりの場ではなく、繋いでいくべきものをさらに強くする場でもある。上手く表現できませんがこんなふうに思います。

あくまでも第三者として、葬儀の場を共有させていただいての個人的な思いです。葬儀関係の方からすればまるで的外れかもしれませんが、ご容赦いただきたいと思います。

故人のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

また、よろしくお願いします。


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