誰かが敬ってきた時間──古びた石塔が語りかけること
2026年2月4日(水)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
私は、古い仏塔を見に行くのが好きです。
個人的な趣味でもありますし、
石屋として「目を養いたい」という気持ちもあります。
そこで、いろいろと思いを馳せる時間が
好きです。
石塔は古びて、角が欠けている。
長年の風雨にさらされ、表面は擦り減っている。
汚れ、苔も生えていることもある。
中には、後代に補われた跡が、
そのまま残っているものもあります。
建立された当初の姿とは、
ずいぶん形を変えてしまっているものも多い。
お世辞にも「綺麗で完璧な状態」とは
言えないかもしれません。
石は何も語りません。
ただ、黙ってそこに「在る」だけです。

ただ、対峙すると、その石塔が過ごしてきた、
気の遠くなるような年月に思いが向き、
何かが伝わってくるような感覚を覚えます。
歴史を振り返れば、今残っているものより、
もっと多くの石造物があったはずです。
戦乱や天災。あるいは、時代の移り変わり。
その中で崩れ、片付けられ、
消えていったものも数知れないことでしょう。
それでも今、目の前に残る石塔には
必ず、その理由があります。
その土地で、
亡くなった人を供養するための「形」として
扱われ、大切に守られてきたからです。
故人を敬う気持ちが、
石塔という形を通して、何十年、何百年と
積み重なってきているのだと思います。
石塔に向き合うと、
「ここで、誰かが手を合わせてきたんだな」
と感じさせてくれます。
石そのものが語るのではなく、
人が手を合わせてきた時間が、
石を通して伝わってくるのかもしれません。
そして、ここははっきりと言い切ってしまいたい。
こうした石塔は、
単なる「石造美術」ではありません。
まぎれもなく、誰かの「墓」です。
亡くなった人を敬うために建てられ、
生きた人たちが手を合わせ続けてきた場所。
だからこそ、詳しい説明がなくても、
私たちは何かを感じるのではないでしょうか。
朽ちかけているのに、むしろ静かに強い。
向き合う側に、何らかの思いを与えてくれる。
それはただ、
石塔の立派さや整った形に感動するからだけ
ではないのだと思います。
誰かが敬ってきた、膨大な時間。
誰かが手を合わせ、触れ続けた、冷めない体温。
それが石の肌に残っていて、
時を越え、こちらへと伝わってくる。
お墓を建てる。
あるいは、守る。
それは、そうした「敬意の蓄積」に、
自らも加わっていくことでもあります。
新しくお墓を建てる人も、
それを受け継いで守る人も。
きっと、みな同じです。
「ここで手を合わせられる形」を、
次へ渡していく。
私は、そういうことなんだと思っています。
文を書いていると、
こうした静かな「強さ」を持つ石に
出会いに行きたくなりますね。
近いうちに。
今日はそんな気持ちを、
少しだけ言葉にして残します。
では。
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
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