名越切通の先にあった、祈りの場――まんだら堂やぐら群を思い返す

2026年3月7日(土)


こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

近々、鎌倉の大町釈迦堂口遺跡の限定公開を
訪ねてみたいと思っています。

そのことを考えていたら、以前見に行った
「まんだら堂やぐら群」のことを、
久しぶりに思い出しました。

2016年の5月。
少し汗ばむような陽気の日に、
逗子のほうへ出かけ、名越切通を歩いて、
その先にあるまんだら堂やぐら群を訪ねました。

逗子駅からバスに乗り、住宅街の中をだんだん
高い方へ上がっていった記憶があります。

降りた先も、
いかにも史跡の入口という感じではなく、
住宅街のどんつきのような場所でした。

地図を頼りに、住宅のはずれから
中へ入っていくと、
ふっと別の世界に入るような感じがありました。

入口には「限定公開」の看板が出ていて、
まんだら堂やぐら群がいつでも自由に
見られるわけではないことが分かります。

そして、名越切通を歩くということ自体、
やはり特別な感じがしました。

鎌倉時代に築かれた道を、自分の足で歩く。
中世の人たちが行き来した道だと思うと、
何か気持ちが高まったことを覚えています。

名越切通は、ただの隘路ではありません。
道はくねくねと曲がり、先の見通しがきかない。
しかも平らではなく、登ったり下ったりに加え、
道そのものにも傾斜がある。

歩いていると、身体が地形に
揺さぶられるような感じがありました。

向こうから当時の人がふっと現れても
おかしくないような空気さえ感じました。

そうして進んでいくと、
その先にまんだら堂やぐら群が現れます。

初めて目にしたとき、やはり壮観でした。
やぐらが一段ではなく、
二段に重なっているところもあり、
古びた五輪塔が数多く並んでいる。

まさしく、あの場所にしかない景色です。
一人でいたら、少し怖いような気持ちに
なるかもしれません。

あの感じは、人の死と祈りが長い時間をかけて
積み重なってきた場所だからこそのもの。
私はそう思います。

近くで見ると、やぐらの中に
石塔が残っているものもありました。

仕事柄、どうしてもこうした石造物に
目が行きます。

けれどここでは、
ただ石塔が残っているというだけではなく、
それを納めるために岩を穿ち、場を作り、
そこに死者を弔う営みが続いてきたことの方に、
より強く心を動かされました。

現地の案内板によると、まんだら堂やぐら群は、
やぐらの内部に石塔を据えて納骨供養を行う施設
として、13世紀後半から作られ始め、
おおむね15世紀いっぱい、部分的には16世紀まで
供養が続いたと考えられているようです。

死者を弔い、祈りを営む場。そう考えれば、
あの独特の空気感にも納得がいきます。

しかも、あの岩盤を掘り抜いて、
これだけの空間を作っていったのは、
すべて人の手です。

今のような機械がある時代ではありません。
道具だって、今ほど整っていたはずがない。

のみを当て、一打ずつ刻み、切通しを通し、
やぐらを穿ち、
その中に死者を弔う場を作っていった。

その労力がどれほどのものだったかと、
考えさせられます。

それは、効率や都合だけでは
とても続かない営みだったはずです。

それでもなお、
死者をきちんと弔おうとした人々の思いが、
この場所には刻まれているのだと思います。

今は静かな史跡として目の前にありますが、
使われていた頃は、
どんな様子だったのだろうと思います。

火葬の煙が立ちのぼり、人が集まり、
死者を送り、石塔を据え、手を合わせる。

今見ている静かな岩肌に、そうした人々の
動きや祈りが刻まれているのだと思うと、
身が引き締まるような思いがしました。

まんだら堂やぐら群は、
また機会があれば、ぜひ訪ねてみたい場所です。

二度目に見たとき、印象がどう変わるのか。
それを確かめてみたいと思います。

近々訪ねてみようと思っている
大町釈迦堂口遺跡も、
また別のものを見せてくれることでしょう。

その前に、以前訪れたまんだら堂やぐら群を、
あらためて思い返してみました。

では。

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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