『樹木葬なんてしなきゃよかった』の記事を読んで――コメント欄で気になったこと
2026年1月27日(火)
こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
THE GOLD ONLINEに、
こんな記事が出ていました。
「樹木葬なんてしなきゃよかった…」
というタイトルで、
墓じまいを急いだ50代の長男が、
親族から罵倒され、
深く後悔しているという内容です。
合祀型の樹木葬を「安いから」
という理由で選んだ結果、
場所が特定できない。
他人と順番待ちになる。
親戚から「先祖代々の土地を捨てた」と
非難される。
しかも、もう取り出せない――。
記事が指摘していることは、
大事なことだと思います。
合祀型はあとから取り出せないこと。
親族と話し合う必要があること。
慎重に考えてほしいということ。
石屋として、日ごろから同じことを感じていて
まったくその通りだと思います。
ただ、私が気になったのは、
この記事“そのもの”というより、
こういう話題の記事につくコメント欄です。
この記事に限った話ではありません。
コメントは違っても、論調はだいたい似ている。
例えば、
「文句を言う親戚は、何もしないくせに」
たしかに一理あります。
実際に手配して、決断して、責任を負うのは、
ほとんどの場合はお施主一人です。
何もしない人が、あとから文句だけ言う。
その構図は、これまでも耳にしてきました。
ただ、多くのコメントを俯瞰していると、
別のことにも気づきます。
多くの人が、「今の自分」の視点だけで
語ってしまいがちだということです。
今の生活。
今の経済状況。
今の価値観。
この「今」だけを物差しにして、
この先、自分の気持ちが変わる可能性まで、
考えられなくなってしまう。
もちろん、
当事者として迫られているわけではないから、
つい一般論になってしまう。
それ自体は無理もないと思います。
ただ、
人の気持ちは、少しずつ変わっていきます。

親が亡くなった直後。
子育てや仕事に追われている時期。
経済的に余裕がないとき。
こうしたフェーズでは、
「合理的」「安い」「手間がかからない」
という判断が、
正しく見えるのも自然なことです。
けれど、10年後、20年後。
自分が弔われる側に近づいたとき。
あるいは、子どもが大人になったとき。
同じ景色を、同じ心で見られる人は、
そう多くはないかもしれません。
余裕がなくなると、
どうしても目の前のことで精一杯になります。
「あとでどう感じるか」より、
「今をどう乗り切るか」が優先される。
その結果、故人や墓が、
未来への負担のように見えてしまうこともある。
だから、墓や故人が
「厄介なもの」
「片付ける対象」
として扱われてしまう。
それは、不敬だからでも、
心が冷たいからでもないと、私は考えます。
ただ、考える余白がなくなっている、
それだけなのだと思います。
それでも――
どれだけ合理化しても、
どれだけ割り切ったつもりでも、
人はどこかで立ち止まることがあります。
名前がないこと。
場所が特定できないこと。
手を合わせる対象が曖昧なこと。
その小さな引っかかりは、後悔というより、
静かな違和感として積もっていく。
石屋として一番気になるのは、
こうした違和感なのです。
選ぶこと自体は、自由
樹木葬でもいい。
墓じまいでもいい。
一般墓でもいい。
例えば、海洋散骨でもいい。
ただし、それが
自分や家族にとって本当に合っているか。
この先の自分の気持ちにも、耐えられる選択か。
そこに思いを巡らせないまま、
その時点の判断だけで決めてしまうと、
あとから静かに効いてくることがあります。
こういう記事を
「文句を言う親戚が悪い」
で終わらせてしまうと、
一番大事な問いが残りません。
自分の気持ちは、この先も本当に変わらないのか。
そんな見方も、
少しだけ思い出してみてもいいのかもしれません。
選ぶこと自体は、自由です。
ただ、その選択が、
これから先の自分にも合っているかどうか。
私は石屋として、
そこだけは、一度立ち止まって
考えてみていただきたいと考えます。
では。
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