死を敬って生きた古(いにしえ)の人々

2025年12月5日(金)


こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

昨日、奈良県御所市で弥生時代の方形周溝墓が
135基も発見された、というニュースを目にしました。

一つの場所に、同じ形式の墓がこれほどの数
まとまって見つかったのは、県内でも最大規模とのこと。

さらに興味深かったのは、
その墓域のすぐそばに、当時の人々の居住空間
が確認されたという点です。

弥生時代ですから、当然、仏教や神道といった
体系的な宗教はまだ日本にはありません。

それでも、一定の形式で墓が並び、居住域の
すぐそばにあるということは、
死者を特別な存在として扱いながらも、
遠ざけすぎず、日常のそばに葬っていた。

そんな当時の暮らしの輪郭が、
うっすらと浮かび上がってくるように感じました。

現代のように、墓地や墓域という明確な区画が
ある以前は、人々の暮らしの「すぐ隣」に死者を
葬っていたのでしょう。

死は特別なものではあっても、どこか身近で、
遠ざけすぎない。

今でいう”心の中にいる”という感覚が、
もっと生活の場そのものに溶け込んでいた――

そうした人間らしい死生観が、135基の墓から
静かに伝わってくるようです。


そういえば、秋田県の大湯環状列石(縄文時代
後期)には、これまでに二度足を運びました。

秋田県・大湯環状列石。使用された玉石の多くは、近隣ではなく離れた河原から運ばれたという。

直近では今年の6月に訪れたのですが、現地の
展示解説を読みながら、円形に並べられた
石の多くが、近くで拾ったものではなく、
かなり離れた河原から運ばれてきた玉石だった
と改めて知り、深く印象に残りました。

なぜ、そんな面倒なことをしたのでしょう?
トラックも運搬車もなかった時代にです。

石に関わる者として、
私は「意味を込めたかったから」だと思います。

遠くから石を選び、何度も足を運んで手で運ぶ。
そこにかけた労力や手間そのものが、
供養の始まりだったのではないでしょうか。

言葉の祈りや制度としての宗教はまだなくても、
「死者を放っておかない」「場を作る」 という
行為には、すでに”敬う心”がこもっていたように思えます。


さらに印象深かったのが、埼玉県の
さきたま古墳群を見学したときのことです。

将軍山古墳 墳丘風景(2018年5月撮影)

大きな前方後円墳の石室に、千葉県の房総半島
の「房州石(凝灰岩)」が使われていた、
という説明を現地で見て、思わず足が止まりました。

今のような道路網も重機もない古墳時代に、
房州の鋸山から武州の行田まで、海と川と陸路を
組み合わせて石材を運んだと想像されます。

千葉県・鋸山で採掘された房州石(凝灰岩)。古墳の石室にも用いられた

どれほどの手間と時間がかかったのでしょう。
それでも石は運ばれたのです。

言葉ではなく、手間と誠意でつくる祈り。

そんなふうに感じるのは、石に関わる仕事を
しているからかもしれませんね。


現代の私たちは、仏式や神式など形式の中で
弔いを行います。

けれど、もっと素朴なところに、死を敬い、
死者を見送る感情の原型があるのかもしれない。
古代の墓や石に触れるたびに、そんな気持ち
にもなります。

私たち石屋の仕事も、突き詰めれば「形にする」
ということ以上の意味を持っています。
それはきっと、石を通して「人の思い」を残すこと。

昔も今も、人は死者を忘れたくないし、大切にしたい。
「死は、生を支えている」
そんな言葉を聞いたことがあります。

死者を敬い、形に残そうとする営みは、
ただ過去を悼むためだけのものではないのかもしれません。

死者の存在が、生きている私たちの日々に
意味を与え、支えてくれている。

そう考えると、縄文や弥生の時代に石を選び、
運び、並べた人々の営みと、
現代の墓づくりは、どこか地続きなのだと思います。

それをどう形にしていくか――
その営みに寄り添うのが、私たち石屋の役割です。

では。


(参考:Yahoo!ニュース「奈良県御所市で弥生の大規模墓群発見」2025年12月4日配信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6d46dc04e11ae4453d70deeb205f7d1419faa7

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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