墓じまい――「終い」と「仕舞い直し」。その間にあるものを考える

2025年12月1日(月)


こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

以前、「徳川慶喜家の墓じまい」という記事を
目にしました。

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜のご子孫である
山岸さんが、谷中の広い墓所について
「家じまい・墓じまい」に取り組んでいる、
という内容です。
(参考:文春オンライン 2024/01/01
「私の代で家系を断絶することに…」徳川慶喜の
玄孫が”将軍家のお墓”を「墓じまい」する理由
とは

寛永寺にある徳川慶喜公墓所の門と鉄柵。中央に葵の紋と解説板が見える。

谷中霊園内にある寛永寺墓所・徳川慶喜公墓所の門。葵のご紋が掲げられています

その記事を読みながら、まず感じたのは、
その判断の重さです。

代々のお墓をどうするかを決めるのは、どの家で
あっても簡単なことではありません。

事情を踏まえたうえで、ご本人が責任を持って
決めたことだと受け止めています。

ですから私は、山岸さんご自身のご判断について
あれこれ申し上げる立場にはありません。

ここで私が本当に強く訴えたいのは、その決断
そのものではなく、「墓じまい」という言葉に
ついてです。

終い(しまい)と仕舞い直し。混同される二つの「じまい」

この十数年、「墓じまい」という言葉が
急に広まりました。

テレビやネットの記事の見出しにもよく登場し、
それをきっかけに相談に見える方が増えています。

ただ、この「じまい」という一語の中には、
本来まったく違う二つの動きが混ざっているのを
ご存知でしょうか。

ひとつは、家が絶え、お墓を閉じ、供養を終える
ための「終い(しまい)」としてのじまい。

もうひとつは、今の暮らしや家族の事情に合わせ
場所やかたちを整え直す「仕舞い直し」としてのじまい。

「終い」は、物事を終わらせて片づける意味合い
が強い言葉です。

一方、「仕舞う」は、しまい込む・整理して
納める、といったニュアンスを持っています。

どちらも同じ「じまい」と読みますが、意味としては全く別です。

前者は「ここで区切りをつける」話であり、
後者は「続けていくために整え直す」話です。

ところが現実には、この二つがひとまとめに
「墓じまい」と呼ばれています。

その結果、本来は「仕舞い直す」ことで対応でき
るはずのお墓まで、「終わらせるしかない」
と考えてしまう方が出てきているように感じます。

石屋として施主さんから相談を受けていると、
その点にどうしても引っかかりがあるのです。

実情に合わなくなった墓を終わらせて絶つのか。
それとも、実情に合うように仕舞い直すのか。

ここは、本来まったく別物だと考えています。

由緒ある家柄だからこその難しさ

ここで、もう一度、徳川慶喜家の話に戻ります。

文春オンラインなどの記事を読むかぎり、
山岸さんは「家じまい・墓じまい」に向き合い
ながら、寛永寺や東京都、慶喜家ゆかりの団体
などと相談を重ねておられるようです。

供養そのものをやめるというわけではなく、
亡き人や家の歴史と向き合いながら、今の現実に
即したあり方を模索している──
そうした姿勢が、報道全体から伝わってくるよう
に思われました。

都の史跡でもある広い墓所をどう扱うか、日本の
歴史としてどう残していくか──
そうした課題に向き合っている、という印象です。

私には、この事例は「終い」としての要素が強く
ありつつも、日本の歴史としての残し方を模索
しているという意味で、ある種の「仕舞い直し」
に近い面も含んでいるように思えます。

「終わらせるしかない」というイメージの危険性

問題は、こうした様々な事情を含んだ話が、
「名家ですら墓じまいをする時代」という単純な
イメージだけで受け止められかねないことです。

「やはり時代は墓じまいなのだろう」
「うちも、いつかは終わらせるしかないのか」

そんな受け止め方だけが広がっていくとしたら、
実態とは少し違うのではないか。

そこに、石屋としての違和感があります。

家族の悩みに寄り添う、「仕舞い直し」という具体的選択肢

私は、誰か特定の立場の肩を持ちたいわけでは
ありません。

石屋として見ているのは、今、お墓のことで
悩んでいるご家族です。

一般のご家庭のお墓が並ぶ墓地の一角。お墓を、これからどうしていくか悩むご家族も増えています

たとえば、こんな悩みを耳にすることがあります。

  • 地方に大きなお墓があるが、高齢になり、
    通うのが負担になってきた
  • 子どもたちは遠方に住んでいて、この先
    どうしたらよいか見通しが立たない
  • 新聞やテレビで「墓じまい」という言葉を
    見て、自分たちもそうしなければいけない
    のかと不安になっている

「お墓はいらない」と考えているわけではなく、
「このままの形では続けられない」という現実に
直面しているケースが多いように思います。

そうしたときに、選択肢として考えられるのは、
次のようなものです。

  • 今の生活圏に近い霊園に、小さく作り直す
  • 菩提寺や霊園の合祀墓・永代供養墓に託す
  • 既存のお墓を一部縮小・整理して、管理
    しやすい形に変える

ひとつ例を挙げれば、田舎のお墓を解体し、
住まいの近くに小さく建て直す。

そんな改葬は「終わり」ではなく、「今の暮らし
に合わせて整え直す」ためのものです。

これが「仕舞い直し」の一例だと、私は考えます。

すべてを終わらせるのではなく、つながりを
続けていくための、もうひとつの方法。

もちろん、どの場合でも「仕舞い直せばいい」
とは限りません。

受け継ぐ人がいないといった理由から、最終的に
「終い」としての墓じまいを選ばざるを得ない
こともあります。

「いつ」行動に移すのかという問題

もうひとつ、忘れてはいけないのが、
「いつ墓じまいをするのか」というタイミング
の問題です。

たとえば、40代の子どもが結婚していないという
理由だけで、70代半ばの親御さんが
「自分が元気なうちに墓じまいをしておこう」と
考えてしまうことがあったとします。

けれど、その子どもは、ふつうに考えればあと
30〜40年は生きていく可能性が高い世代です。

その年月のあいだ、手を合わせる場と機会になり
得るお墓を、親の判断で先回りして片付けて
しまうことが、本当にその人にとって良い選択
なのか。

「墓じまいをするかどうか」と同じくらい、
「いつ、どのタイミングでするのか」も慎重に
考える必要がある、と私は感じています。

石屋の役割は「選択肢の整理」にある

仕事の面から見れば、墓じまいも、改葬も、
新しいお墓づくりも、いずれも石屋の仕事になります。

だからこそ、どれか一つの方向だけを安易に
勧めることはしたくありません。

「本当にここで終いにするしかない状況なのか」
「仕舞い直すことで、まだ続けていける余地は
ないのか」
「今やるべきなのか、それとも、まだ手を合わせ
る場として残しておくべきなのか」

そうした点を、ご家族と一緒に整理していく
こと。その上で決まった方向に対して、技術的な
部分をきちんと引き受けること。

それが石屋の役割だと考えています。

私は、安直な墓じまいの一般化には、はっきりと
異を唱えたいと思っています。

終いなのか、仕舞い直しなのか。
そして、今なのか、まだ先なのか。

いきなり「墓じまいしかない」と決めてしまう
前に、そうした違いを一度整理した上で
判断していただきたい。

そのように考えています。


これは、この業界に長く関わってきた者の、
率直な感覚にすぎません。

誰かを持ち上げるためでも、貶めるためでも
ありません。

もちろん、墓じまいをして、お墓を片付けた人を
非難したいわけでもありません。

「墓じまい」という言葉の陰で、それぞれが採る
べき本来の選択肢や、残せるはずの時間が
見えづらくなっている現状に対して、石屋として
黙ってはいられない。

そんな思いがあるだけです。

では。


あわせて読みたい記事

以前のブログでも、このテーマについて詳しく触れています。
🔗解体≠墓じまい。「見た目のマジック」とお墓の再出発(2025年11月20日)

※本記事は、報道から知り得る範囲での一般的な
受け止めに基づいたものであり、ご本人やご家族
のご判断を評価・批判する意図は一切ありません

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

似顔絵現地確認。お見積り・ご提案はすべて無料です。

(有)吉澤石材店 吉澤光宏

ご相談・お問合せは、お気軽にどうぞ。
電話 044-911-2552 (携帯転送なので外出先でもつながります)
メール お問い合わせフォーム

トップページはこちら
お問い合わせフォームはこちら