登戸の石屋、京都・滋賀へ。~私が石造物に会にいく理由~
2019年4月19日(金)
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
京都と滋賀の古い石造物を見る研修に参加してきました。このブログで建墓関係以外のことを書くことは、そう多くはないですね。
ここでいう石造物って主に石塔や石仏・石灯籠などですよ。
古い石塔を見て何になるの?って思う人も多いんじゃないでしょうか。石像美術を鑑賞するだけで単なる趣味の世界じゃないかとか…。
うーん、そういわれてしまうと身もふたもないのですがね(汗)
もちろん個人的な趣味はありますね。まあ、表現は悪いけどストレス発散という意味合いも込めてとか(笑)
あ、冗談はともかくとして、良品を観ることで養われる石屋としての『体幹づくり』といった側面ももちろんありますね。
やっぱり良いとされる形にはそれなりの理由があるので、それらを間近にすることで感じられることって必ずあるわけです。そうしたことって、写真で眺めただけでは絶対にわかりません。
また、電動工具もない時代にここまで丁寧に作りこんだのかとか、クレーンもない時代にどうやってこれを建てたのかとか、そこの空間でのみわかることや感じられることがあります。
だからときおり、そうした石造物たちに触れる機会が必要だなと思うのです。
でも、そうしたことって今のお墓づくりにどこまで必要なの?って言われてしまうと、以前には答えに窮してしまうような感覚も少しだけありました。実際にこうした塔を建立する機会なんてほとんどないわけですから。
だけどこうした現地研修の場を何度も踏んでみて、今では自分なりになぜこれが大事なのかを理解できてきたような思いがしています。
もちろん何となくではありますが。それは何だと思われますか。
それは単に形ではありません。技の優劣でもありません。もちろん単なる美しさでもないと思います。
私はそれは『心』ではないかと思います。そこに込められた『心や思い』がある。だから数百年から千年近くの時を経た古の石造物たちに触れることが石屋として大切なのだと考えます。
もちろん、あくまでも自己流の解釈です。ですが、長い時間そこに存在する石造物には間違いなく『心や思い』がこもってきたと私は信じます。
死者を敬い供養しようとする施主の心、その心を形に表そうとする石工の心、また時代を超えてそれ(石造物)を大切に遺してきた人々の心―。
そうした心たちはお墓づくりにたずさわる者にとって、忘れてはならない大切なもの。
『心』があるからこそ造塔をこころざし、『心』があるからこそそれを大切にしていく。そこに『心』がなくしては名品と呼ばれる石造物であっても「ただの石」。
誤解を恐れずに言えば、ただの抜け殻に過ぎないと私は思います。
表現が悪くてわかりにくいかもしれませんね(汗)
でも今に建てるお墓だってこの部分は全く変わりがないはず。であるならば、それはお墓が持つ本質の一端ではないでしょうか。
『心』に裏打ちされているからこそ『形』に意味が出るわけで、それらを併せ持つ石造物たちがその地域に永く存在しえた大きな理由のひとつと言えるでしょう。
石材人としてそんな『心』が宿った石塔、多く建てていきたいですね。
私が古い石造物に会いに行きたく理由、はしょって言うとこんなところです。
さて、石造物に込められた心に思いをはせ、触れる機会。次はいつになるのでしょうか(笑)
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
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