お墓という場所が、いつか「心の答え」をくれる
2025年12月17日(水)
こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
今日、ある新聞記事を目にしました。
長年、厳格で粗暴だったお父様を
憎み続けてきた女性が、没後になって、
父の荒れた振る舞いの背景に、
戦争での兵士としての体験が残した
心の傷があったと知った……というお話です。
女性はこれまで、複雑な思いでお墓参りを続けて
こられたそうですが、事実を知った今は
「父も苦しんでいたのだ」と、
穏やかな気持ちで手を合わせているといいます。
「後から気づくこと」を受け止める場所
このお話を読んで、改めて感じることがあります。
それは、お墓という場所は、
私たちの感情が変化していくのを、
何年でも待ってくれている――ということです。
生前にはどうしても許せなかったこと。
ぶつかり合って、理解し合えなかったこと。
親子や家族であれば、きれいごとだけでは
済まない葛藤があるのは、ごく自然なことだと思います。
けれど、亡くなったあと。
お墓の前に立つことで、自分の気持ちを
確かめられることがあるかもしれない。
すぐには無理でも、10年、20年と時が経ち、
自分自身が年齢を重ねたとき。
不意に、「あの時、あんなふうに言ったのは、
こういう理由だったのかもしれない」と、
故人の思いに気づく瞬間があるのかもしれません。
もしその時に手を合わせる場所があれば、
その気づきを「供養」という形で
届けることができます。
お墓は、後からあふれてきた思いを、
ちゃんと置いてこられる場所。
私は、そんなふうにも感じています。
「手を合わせる先」があるということ

私たちは日々、お墓づくりをしています。
それは単に、お骨を納める場所を作るという
だけのことではありません。
ご家族が、
「もう一度向き合いたい」
と思ったとき。
あるいは、
ふとした折に近況を報告したくなったとき。
「ここに来れば、いつでも会える」
という安心感を、形にすることだと思っています。
時間はかかってもいい。
お墓はその場所で、
家族の心がほどけていくのを、
静かに待ってくれている。
私は、そう思います。
結びに
「生前に、もっと優しくしていれば」
記事には、そんな一言も記されていました。
そうした後悔は、誰しもが抱くものかもしれません。
けれど、お墓がある限り、
関係はそこで終わりではありません。
遅れて気が付いたこと。
あのとき言えなかった言葉が、
手を合わせることで届けられる。
お墓という「場所」があることで救われる心が、
きっとある。
この記事を読み、
私たちが守っているものの重みを、
改めて噛み締めました。
では。
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