記憶を刻み想いをつなぐ石 —吉澤石材店の記憶—

2025年8月16日(土)


こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

登戸の地域では昨夜に送り火を焚いてご先祖様をお送り。今年のお盆の行事は終わりました。暑さはまだまだ続いていますが、気持ちの上では少し区切りがついたような、そんな静けさが戻ってきたようにも感じます。

毎年この時期はご先祖様、そして祖父や大叔父たちに思いを馳せる時間が自然と多くなります。昨日の靖國参拝もそのひとつですが、今日はもう一つ、一昨年の春に訪ねたある場所のことを記しておきたいと思います。

場所は鎌倉・材木座にある浄土宗大本山の光明寺というお寺です。その境内に旧陸軍の「津田部隊笹島隊」の慰霊碑があると知り、どうしても足を運ばずにはいられませんでした。この部隊には、私の大叔父・吉澤耕二(吉澤石材店に従事)が所属していました。

市内の中心部から少し離れた立地だからでしょうか。鎌倉の静かな空気の中、境内の一角にその慰霊碑は佇んでいました。

使用されている石は宮城県の仙台石。落ち着いた風合いと静かな存在感があり、慰霊碑にふさわしい石材です。正面には部隊名や碑銘が刻まれ、裏側にまわると縁取るように設けられた額の内側に戦没された方々の名前が一面に。

その中の一人として「吉澤耕二」の文字がしっかりと刻まれていました。

それを目にし、その名に手を添え、私はしばらくその場を動くことができませんでした。

そして、ふと目に入ったのが石碑の隅に小さく刻まれた「稲田登戸 吉澤石材店刻」の文字です。

鎌倉という土地から距離のある、登戸の石材店の名が!

でも、それはそう大きな驚きではありません。耕二は戦地において石工として培った技能を活かし、先に戦没された戦友たちの慰霊碑を建立した実績もあったそうです。戦地からの耕二の手紙と、添えられた写真により、それがわかりました。(下記画像参照)

そうしたことから家業が石屋であったことを部隊の方々が覚えていてくださっていたのだと、すぐに想像できたからです。

石工の技術 戦地でも  画像出典:『タウンニュース』(2023年3月24日号)

そして間違いなく、そのご縁で慰霊碑の建立を登戸の吉澤石材店に託してくださったのでしょう。

戦地で命を落とした弟の名前を、兄である祖父・藤三が自らの手で刻んだのは間違いないと思います。耕二の戦死の報をきいた曾祖母や家族の深い悲しみも想像に難しくはありません。

そうした家族の感情が石に込められ、今もなおこの場所に息づいている——そう感じた瞬間でもありました。


お盆の行事を終えた今、不思議と鎌倉を訪れたあの日のことが思い出され、こうして言葉にしてみたくなりました。

人は亡くなっても、その名と記憶が受け継がれていく限りは完全な死ではないはず。きっと人の心の中で生き続けているのだと思います。

そのための場所や形をつくっていくこと。それが私たち石材店の仕事であり、役割であるはずと強く思います。そうしたことをこれからも忘れず、日々過ごしていきたいと思います。

では。

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
お墓以外にも石鳥居や記念碑のお仕事も承っております

似顔絵(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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