石屋と石屋河岸──多摩川の水運に支えられた石屋の記憶
2026年2月17日(火)
こんにちは。
川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
今日は、この登戸で石を扱ってきた
200余年の時間の重なりに思いを馳せ、
少し店の歴史にかかわる話を書いてみようと思います。
区画整理が進められていた登戸周辺ですが、
このたび、旧店舗跡地の前に以前から設置される
予定だった歴史案内板が、ようやく立てられました。
「石屋と石屋河岸」
そう書かれた案内板です。

川崎市歴史ガイド案内板「石屋と石屋河岸」(旧店舗跡)
下の説明文には、こうあります。
この地にあった吉澤石材店(現在移転)は、江戸後期から続く店で多摩川の水運と津久井道の便で大いに繁盛した。伊豆や真鶴の石材は渡し場のすぐ下流にあった淀みから荷揚げされた。その船着き場を石屋河岸と呼んだ。
文字で読むと淡々としているのに、
実際にその場に立って読むと、妙に生々しい。
実際にはその河岸から用水路があり、
うちの近くまでそれが来ていたと聞いています。
この話は、地域の記録にも残っています。
相模民俗学会の機関誌『民俗』(第123号)には、
登戸の石工についての記録があり、家の裏手に
あった用水が多摩川に通じ、船が出入りできる
ようになっていたこと、
そして石屋河岸から石材を陸揚げしていたという
話が記されています。

登戸石工在銘石造物一覧(相模民俗学会『民俗』第123号掲載「登戸石工伊勢屋」より)
いま目の前にあるのは整備された街並みで、
川の流れも、荷を扱っていた気配も見えません。
それでも「石屋河岸」という言葉が残っている
だけで、ここで石を荷揚げし、加工し、
各地へ建立していった石職人たちの姿が、
目の前に浮かび上がってくるようです。
私の店は、
公式には寛政年間の創業としています。
これは資料だけの話ではなく、
文化文政の頃に建立された石造物の中に、
登戸石工として吉澤の銘が入っているものがある
ためです。
石工としての技術習得に要する年数を考えれば、
遅くとも寛政年間には創業していたと見るのが
自然だと考えています。
登戸小学校の創立百周年記念誌『登戸』にも、
登戸の石工や石屋河岸についての記述があり、
この土地に根付いた石屋のことが地域の歴史
として語られています。

登戸小学校創立百周年記念誌『登戸』(1973年)に残る地域の記録
区画整理に伴い、旧店舗が取り壊されたのは
2019年の秋のことです。
案内板もそのとき外され、以来6年あまり、
姿を消していました。
正直なところ、もう立てられないままなのかなと
少し淋しく思っていたので、
再設置されたのを目にしたときは、
素直に嬉しかった。
創業の地は離れましたが、この場所で
石屋の仕事が営まれていたという記憶が、
地域の歴史として残されている。
それは、やはり特別なことだと感じます。
案内板の近くには、
津久井道を示す石柱も建てられました。

津久井道を示す石柱(石材は当店が納入)
その石は、今回ご縁があって
当店から卸させていただいたものです。
施工は別の業者さんですが、
歴史を語る石が、街の中に据えられている。
石屋として嬉しいものがあります。
昔、この場所では船から石を降ろし、
人の手で形作られ、街道を通って
各地へと届けられていたのでしょう。
いまは水運も姿を変え、街の形も変わりました。
それでも、「石屋河岸」という言葉が残り、
石柱が立ち、石にまつわる時間だけは、
細く続いている。
100年先のことは分かりません。
登戸の街も仕事も、
きっと変わっていくでしょう。
それでも、
こうして石に関わる仕事を続けていると、
過去と今が同じ場所でつながっているように
感じます。
石屋河岸という言葉が残るこの登戸で、
今も石に触れて仕事をさせていただけることを
ありがたく、そして誇らしく感じます。
では。
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
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(有)吉澤石材店 吉澤光宏
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