お墓が、心の置き場所の一つであればいい

2025年12月25日(木)


こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。

今朝はYahoo!ニュースで、ある著名人の
「見送ってから、よく眠れるようになった」
という言葉を目にしました。

外野が軽々しく語れる話ではないと思います。
ただ、石屋として現場に立っていると、
その感覚が分かる気がする場面もあります。

今日は、そんなことを少し書いてみます。


身近な人の具合が悪い。
闘病が長い。

あるいは、関係が簡単ではない。

そういうとき、心はずっと緊張しています。
「何かあったらどうしよう」
「今さら何を言えばいいのか」
「距離をどう取ればいいのか」

答えが出ないことを抱えたまま、
日々だけが進む。
眠りが浅くなるのは、むしろ自然です。

だから、見送ったあとに眠れるようになる。
それは薄情だからではなく、
張りつめていたものが、ほどけたからかなと。

私はそう思っています。


供養というと、
よく「気持ちに区切りをつける」と言われます。

でも、本当は区切りなんて、きれいにつかない
ことのほうが多いのではないでしょうか。

供養は、答えを出す作業ではない。
私は以前から、そう感じています。

手を合わせて、思い出す。
涙が出る日もあるでしょう。

そんな言葉にしない作業が、
人には必要なんだと思います。


納骨の際には、石屋も立ち会います。

人が亡くなって、四十九日法要くらいで
納骨になることが一番多いです。

見送ってまだ日が浅い分、
お墓の前の空気はどうしても硬くなります。

言葉が少ないのも、自然なことです。

そんな中で、心に残る方がいます。

その方はご主人を早くに亡くされ、
その後ご主人の父、母を送りました。

お墓参りには、義父母がご健在のころから、
よく来ていました。現場で作業をしていると、
何度もお見かけしました。

ある時(義母さんの納骨のあとですが)、
私が「こんにちは」とあいさつすると、
「これで嫁の務めも果たせました」と。

その言葉を聞いた時、
ああ、素晴らしいなと感じました。
そして、ご苦労もたくさんあったことだろうと。

心の中で「お疲れさまでした」と
頭を下げたい気持ちになりました。


お墓は、故人のためだけにあるのではないと
思います。遺された者が、自分の心と向き合う
場所でもある。

生前、言えなかったこと。
わかってもらえなかったこと。
すれ違ってしまったこと。

そういうものを、言葉にせずとも、
静かに受け止めてくれる場所。

それが、お墓の役割の一つなんじゃないかと
思うのです。


関係が難しくても、
お墓の前では、時間が動き出すことがある。

虚心坦懐に。
ただ墓前で手を合わせて帰ってくる。

お墓が、そんな心の置き場所の一つであれば
いいなと思います。

では。

※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。

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(有)吉澤石材店 吉澤光宏

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