「死者の代弁」という一線。AIと供養の話
こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
最近、テレビやネットの話題を見ていて、
ふと思うことがあります。
AIの進化は、本当に早いですね。
便利さや面白さは、確かにある。
一方で、「使う側の人間の在り方」が、これまで
以上に問われる時代になってきたとも感じます。
今朝、あるネット記事では
故人をAIの姿でテレビ番組に登場させる
という話題を目にしました。
賛否はいろいろあると思いますが、
お墓の現場にいる者として、
どうしても引っかかるところがありました。
今日は、そのことについて書きます。
誰かを批判したいわけではありません。
ただ、「これは線を引かないといけないかな」と
感じた点があります。
「本人の言葉」にしてしまう危うさ
AIで故人の姿や声を再現し、
言葉をしゃべらせる。
技術としてはすごい。
でも、簡単に「すごい」で済ませられない部分が
あります。どこか違和感を覚える部分も。
似ているほど、私たちは心が先に
動いてしまいそうです。
「本人が言ってくれた」
そう感じて、救われる方もいるでしょう。
その気持ち自体を、外から軽く否定することは
できません。人の心は、理屈だけでは
割り切れないものですから。
ただ、そのときに一つだけ、
忘れてはいけない線があると思います。
事実は渡せても、内面は渡せない
生成AIが参照できるのは、結局のところ、
生きている側が提供できる情報です。
そこに含まれるのは、記録された事実や
周囲が知るエピソードであって、
本人の内面や沈黙の領域ではありません。
内面に踏み込むほど推測の比率は増える――
その限界を、忘れてはいけないと思います。
ここが、私にとって一番大きいところです。
本人が生きていれば、
「それは違うよ」と訂正できます。
でも死者は訂正できない。
だから、AIが作った“それっぽい言葉”が、
いつの間にか「本人の言葉」として残ってしまう。
その危うさがあります。

供養は、答えを出す作業ではない
お墓の仕事をしていると、
ご家族の悲しみや後悔に触れる場面があります。
そのとき必要なのは、
「正しい答え」や「気の利いた言葉」ではなく、
時間をかけて、少しずつ心を整えていくこと
なんだと思います。
手を合わせる。
黙る。
思い出す。
泣く。
そんな言葉にならない作業が、人には必要です。
AIが作る言葉は、時に整いすぎています。
その分だけ、心が引っ張られやすいのかもしれません。
でも、供養は
「言葉で片付くもの」ではありません。
私はそう思っています。
石屋として越えない線
AIを使うこと自体を、私は否定しません。
文章を整えたり、説明を分かりやすくしたり。
人の判断を助ける道具としては、
とても役に立つ場面があります。
ただ、お墓の仕事として、
「死者の代弁」には踏み込みたくない。
できる、できない以前に、
そこは人を扱う仕事の「姿勢の問題」だと
感じるからです。
よく書いていますが、
私は、言葉で安心を売りたくない。
仕事で安心を残したい。
そのために、守るべき線引きは守っていきます。
年の瀬、手を合わせる方が増える季節ですね。
便利な時代だからこそ、
「人がやるべきこと」と「やらないこと」を、
考えていたいと思いました。
では。
![]()
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
現地確認。お見積り・ご提案はすべて無料です。
(有)吉澤石材店 吉澤光宏
ご相談・お問合せは、お気軽にどうぞ。
電話 044-911-2552 (携帯転送なので外出先でもつながります)
メール お問い合わせフォーム


