手を合わせてはいけないお地蔵様がある?果たしてそんなことあるのでしょうか。
2025年8月1日(金)
こんにちは。川崎市多摩区の石屋、吉澤石材店の吉澤です。
実は昨日、川崎市麻生区のお墓でお地蔵様を建立した記事をアップしました。そのあと何の気なしにお地蔵様についてネット検索してみると『お地蔵さんに手を合わせてはいけない理由とは?拝み方や注意点も詳しく解説』なんて書かれたサイトを発見しました。(リンクはあえて貼りません)
手を合わせてはいけない?どういうことなの・・・
気になったので拝見すると、え?と思うような内容の文章が。
「供養を目的としたお地蔵さんだから手を合わせてはいけない」
「負のエネルギーが溜まっているお地蔵さんだから手を合わせてはいけない」
それぞれ霊の影響や悪い影響を受けてしまう可能性があるとか。他にも手を合わせてはいけないお地蔵様の種類と称していくつかの事例のようなものをあげて説明されていました。
他にもお地蔵さんの正しい拝み方、とか拝む際の注意点などの文章も…
きっと何かの目的のため書かれたものなので、あからさまに私のブログで批評したくはありません、全部が間違っているかとか言うつもりもないし、裏取りをしているわけでもありません。でも正直、何だかサイトを見る人の不安を煽りたてるような内容にガッカリとしてしまいました。
冷静に目を通しても矛盾するような内容に感じられるし、そもそもお地蔵様は地蔵菩薩といい、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道という『六道』において生きとし生けるものすべてを救済するとされているすばらしい菩薩様なんです。
たとえ負のエネルギーが溜まっていたり、浮かばれない霊があったとしても、それを救ってくれる存在であるはずのお地蔵様。お地蔵様の持つ力は迷える衆生であるところの私たちには、到底及ぶべくもありません。そんな菩薩様のことをずいぶんと過小評価されているんだな、と思わざるを得ません。
そもそもですが、悪意を持って何かをしたりするのではなく、純粋な気持ちでお地蔵様に手を合わせることがそれほどリスクが高い行いなのでしょうか?
供養心をもってお地蔵様を建立することは、それ自体が絶対的な善行だと私は思うんです。もしお参りがされずしばらく置かれたままになっていたとしても、そのお地蔵様に対し真摯に向き合い手を合わせることで、なぜ負のエネルギーや悪影響を受けることになるのでしょう。
お地蔵様が救うはずの衆生の霊や負のエネルギーにとりつかれて操られちゃうんでしょうか。衆生を救いたいお地蔵様がしばらくお参りされないことですねてへそを曲げちゃうんでしょうか。皆さんはどう思われますか?
私には到底理解ができません!
もちろんお地蔵様に対して手を合わせて拝むのではなく、不逞な行為をしたとすれば、もしかしたらよくないことがあるかもしれませんが。
昨今ではネット上ではいろいろな情報があふれています。検索すれば、お墓に対してや葬儀に対してのことも、すぐに(正誤を問わず)たくさんの情報を手にすることができます。よく「とんでもマナー」と表現されるような情報もありますよね。例えば葬儀の時やお墓参りの時にこれはいけない、あれはいけないとか…
冠婚葬祭にまつわる常識は地域によってものすごく差があります。お墓のことでも、私たち石材店でもびっくりするくらい差があったりもします。こと、お墓参りに関しても「…はしてはいけない」「…であるべき」というような表現で書かれているものの中には、勘違いも甚だしいと感じてしまう情報も数多く見かけます。
悪意があって書かれたものではなくとも、それを見て心配になってしまう人もいるはずです。情報の発信は大切ですが、迷信や俗信のたぐいをプロが安易に発信するのはよくありません。読み手が安心できる情報を正しく発していけるよう、心がけるべきではないでしょうか。
私は人の心の不安を煽って商売に結び付けることは好みません。逆にお墓を建てたり供養心を以って善行を積むことでお客さんに心の平安や小さな幸せを提供する、そのお手伝いをしていきたいと思っています。
お墓のことで不要な心配や迷いを生じさせることはありません。お墓(お地蔵様も含みます)を建てることはそれ自体が間違いなく良いことをしているわけですから。
個別の事情はともかく、それぞれが尊い思いをもって建立された菩薩様。どのお地蔵様にも心配することなく、敬う心で手を合わせていただいていいと思います。そして亡くなった大切な方々の供養を、どうか安心して心置きなく行ってください。
石屋として、これだけはどうしても読み手の方にお伝えしたかったです。そのため、いつもとは違う内容のブログにしてしまいました。ご容赦ください。
さて、ブログ自体は上記で終わりですが…友人の話では件のサイトの内容、どうもAIに書かせた文章のような気がするとのこと。なので私もチャットGPTに以下のことを尋ねてみました。せっかくなので下にその回答をコピペしてみます。
―以下、質問と回答―
・お地蔵様に手を合わせるのはいけないことなのですか?
いいえ、お地蔵様に手を合わせるのはいけないことではありません。むしろ、日本ではとても自然で敬意を表す行為とされています。
■ なぜお地蔵様に手を合わせるのか?
お地蔵様(正式には「地蔵菩薩」)は、仏教の菩薩の一尊で、特に以下のような役割があります:
- 子どもや水子の守り神
- 道祖神(道の安全を守る)
- 苦しむ人々を救う存在
- 六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を巡って衆生を救済する
こうした理由から、昔から多くの人が道端のお地蔵様やお寺のお地蔵様に手を合わせて願い事をしたり、感謝の気持ちを表したりしてきました。
■ いけないとされる場合があるとしたら?
一部の宗派や思想では、「仏や菩薩に願い事をするのは執着だ」と考えることもありますが、これはあくまで宗教観の違いであり、一般的な信仰や礼儀の中でお地蔵様に手を合わせることが悪いという考え方はありません。
■ 結論
お地蔵様に手を合わせることは、祈り・感謝・敬意を表す良い行いです。
迷わず心を込めて手を合わせて大丈夫です。
もし具体的な場面で「いけないのでは?」と感じた理由があるなら、その背景を教えてくれれば、もう少し詳しく説明できます。
・手を合わせてはいけないお地蔵様などあるのでしょうか?
基本的には、手を合わせてはいけないお地蔵様というものは存在しません。ですが、いくつかの例外的なケースや誤解が生じる場面はありますので、それを踏まえて丁寧に説明します。
✅ 一般的には、すべてのお地蔵様に手を合わせて問題ありません
お地蔵様は地蔵菩薩という慈悲深い存在で、人々を救済する仏です。ですので、
- 道端のお地蔵様
- お寺のお堂内のお地蔵様
- 水子地蔵
- 戦没者供養のお地蔵様
- 地獄で苦しむ者を救う地蔵(六道地蔵など)
といったあらゆるお地蔵様に、手を合わせるのは礼儀正しい、敬虔な行いとされています。
⚠️ ただし、以下のようなケースには注意が必要です
1. 信仰の対象が限定されている場合
一部の宗教施設では、宗派によって「礼拝対象が異なる」ことがあります。たとえば、
- 浄土真宗では「地蔵菩薩は拝まない」という考え方が主流(阿弥陀仏への専念)
ただし、これは信仰上の立場であって、「手を合わせるな」という禁止ではなく、「うちの教義ではそうしない」ということです。無作法ではありません。
2. 展示用・芸術的オブジェとして置かれているもの
観光地などで、単に装飾として置かれている場合もあります。この場合でも、手を合わせてはいけないわけではありませんが、「礼拝対象」としては意図されていない可能性があります。
3. 荒れた場所・不浄な場所の地蔵
古く打ち捨てられたような場所にあるお地蔵様に関して、「霊的に重いものを背負っているのでは」と忌避されることがあります。ですが、これは信仰心ではなく俗信・迷信の類です。むしろ、そうした場所でも手を合わせることで功徳を積むという考え方が仏教的には自然です。
🔚 結論:手を合わせて問題になるお地蔵様は、原則としてありません。
💬 むしろ「静かに手を合わせる心」が尊ばれるべきであり、誰かがとがめるような性質のものではありません。
気になる場所があるなら、「どういう由来の地蔵様なのか」を知るとより深く理解できると思います。必要なら、その由来調査もお手伝いできますよ。
なんだか少し安心できる回答が返ってきました。
AIなので聞き手がどう聞くかによって出てくる答えは当然変わりますよね。でも俗信・迷信の類と出てきたのは嬉しかったです。
ご参考まで。
※最後までご覧をいただきまして、ありがとうございます。
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