手を合わせるときそこにある、ということの意味。
こんばんは。川崎市多摩区の吉澤石材店、吉澤です。
明日の日曜日、三件のご納骨予定が入っており、そのうちの二件は時間差があるために私が担当してきます。
考えてみるとそのご納骨二件はどちらも仏教式ではありません。一件は神道系、今一件はキリスト教系になります。
日本人の葬儀においては仏式で執り行われる割合は非常に高いと思います。そこから考えても結構レアなケースなのかなと思ってしまいました。
当然仏式とは違いお経はあがりませんね。それぞれ祝詞をあげたり、聖書の朗読・賛美歌を歌ったり。
厳密に言えばそれぞれの宗教での意味合いはしっかりとあるわけですが、一般の信者さんの多くは亡くなった家族や親せきを偲んで手を合わせることが多いと推察します。
まあ、神道では柏手(拍手)なので手を合わせる言うこととは少し異なるのかもしれません。
ただ祈るという一点を考えれば、仏教も神道もキリスト教も、気持ちの部分では近いものがあるのではないでしょうか。
つまりは宗教的な意味からではなく、人として死者に対して持つ普遍的な気持ちのことを言っているわけですが。
この『祈る』という行為をするとき、何らかの具体性を持った『もの』がそこにあるということ。これは決して小さなことではないような気がします。
その『もの』こそ、亡き人の象徴としての『お墓』ではないかな、と私は思います。
また、よろしくお願いします。
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