『「墓参り」は奇妙な文化?』 こんなこと大胆提言でも何でもない、妄言だよ。
こんにちは。川崎市多摩区の吉澤石材店です。
滅多にこんなことを思いませんが、今日は少しだけ思うところと言うか、文句?を書いてみます。
週刊ポストという週刊誌の中に『「死に方」格差』という記事がありました。その中のpart4、もう墓を捨てるしかないという文章。
いちいち週刊誌の記事の細かい内容にまで触れたくありません。もちろん筆者のことにも触れたくありません。
ただしこうした記事は徹底的にお墓を『厄介者』としてとらえ、その立ち位置からのものの見方で書きまくっている。そう私は感じます。なので記載内容をいちいち取り上げて反論することすらバカバカしく感じます。
あえて一つだけ言わしてもらいます。よくこうしたものの書き方をしている記事があるのが気になっていましたので。
海外の例を挙げて日本の遺骨処理のあり方に物を申しているようですが、確かに海外とは異なると思います。でもそれって当たり前ではないでしょうか。
文中にも「日本独特の文化」と書いてありますが、それの何がいけないのか。この国の風土と気候の中ではぐくまれてきたものを、海外のやり方に照らして議論するのはちょっと無理があるのではないでしょうか。
日本には日本の宗教があり、文化があるわけです。そして日本人の葬送を担うのはやはり日本の人。日本人の宗教観を海外のものと比べてああだこうだと言うのは、日本の文化はもとより海外の文化に対しても失礼な気がします。
今の時代、望めばいろいろな情報を比較的簡単に手に入れることができます。でも自らのアイデンティティを簡単に放り出してしまうような人たちは、子孫にどんな目で見られることでしょうか。
葬送やお墓のあり方は、時代を重ねることで変化していく部分も確かにあると思います。しかしながら本質的な部分を棄ててしまうようなやり方は真っ当な「進化」ではないと私は思います。
日本独自の文化を変質、いや劣化させる方向に人々を誘う。そんな情けない見出しや記事を書き連ねて、結果何が遺るのでしょう。
私は仕事がら「お墓を建てて安心できた」、「良かった」という人たちの声をたくさん聞いてきました。また、やむを得ない事情からお墓を片付けなくてはならなかった人の声も伺いました。
そうした声を知っているからこそ、週刊誌に書いてあることすべてが正しいかのように思われてしまうことが残念でなりません。少しでも日本の文化を残していけるよう、微力ではありますがまちの片隅から訴えていきたいと思います。
また、よろしくお願いします。
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