川崎市の宮前区。わが多摩区のお隣です。お墓の仕事で時々は出向いていますが、比較的なじみは薄い地域かもしれません。川崎は多摩川沿いの細長い街。東京・横浜に出てしまうことが多いですからね。

そんな宮前区に『宮前区観光ガイドの会』をいう団体があるそうです。そこの方が今日弊社を訪れてくださいました。聞くところによると30名程度の団体で、多摩区界隈を来る17日に巡る予定があるそうです。

弊社も「川崎歴史ガイド」の一つに取り上げてられていることもあってか、何らかの話をしてくれということです。(※参考:多摩区の魅力発見!モデルコース③

対象はきっと人生の先輩方。気の利いた話ができるかどうかわかりませんが、とりあえずは承知してみることにしました。さて、どうなりますやら(笑)

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そういえば弊社に入荷してくる石がどんなふうに産地からやってきたか。これについては以前facebookページで触れたことがありましたが、せっかくなのでブログの方でも記載しておきます。

その昔、石はどこからどうやって運ばれてきたのか…

川崎の登戸は、多摩川のほとり。
江戸の昔、弊社の手掛ける石造物に使われた石材の多くは伊豆や真鶴あたりで切り出され、石船で海路をたどり矢口まで運ばれました。
産地から「石を送った」という知らせが飛脚により知らされると、頃合いを見て矢口まで弁当を持って出迎えに行ったそうです。(船よりも飛脚のほうが早かった!)

石は矢口から川舟(帆掛け船)に積みかえられて、多摩川をさかのぼり登戸に荷揚げされました。今の小田急線鉄橋下あたりには「石屋河岸」と呼ばれた掘割りが作られていて、そこから自分のところまで運んできたということです。

現代の感覚では牛や馬の力で荷車を引いて…と考えてしまいがちです。しかし当時は道も舗装していないわけで、舟で水路を辿るのが一番効率が良かったのでしょう。

父か祖母から聞いた話と、平成元年発行の「文化かわさき11号」中の木村清人氏「聞き書き 石材店二百年」を参考にさせていただき書いてみました。
…つづく』

どこか途中で水没してしまった石もあったりしたのでしょうね。今では考えられないような話だと思います。

また、よろしくお願いします。


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